Yasublog

本、土木・橋梁、野球、お笑い、などについて書いてます。

果てしなき戦い


24日深夜1:55〜読売テレビ阪神タイガース金本知憲ドキュメンタリー“果てしなき戦い”」を見た。


多少のケガでも試合に出続けることについて「格好よく言えば責任感、悪く言えばわがまま」、「長嶋さんじゃないけど野球は人生そのもの、生活のすべてが野球であり、野球がすべてであり、一年中あたまから離れない」こう話す金本は、2007年6月下旬、左ひざ内側半月板損傷を負い痛み止めの注射で試合に出続けたが、10月下旬に手術に踏み切る。
年が明けて2008年1月甲子園室内練習場で石原慎二チーフトレーナー補佐とともにリハビりに努める金本の姿があった。石原トレーナーとの復帰までの合言葉は「全力疾走で3塁打を打てる体作り」しかし思うように痛みが引かず、当初予定より1ヶ月遅れの調整となり、オープン戦でも16打数1安打と上向かなかった。周囲からが限界説や休みながらの出場を勧める声も出たりした。だが金本は開幕前日のインタビューにこう答えた。「精神的な覚悟というか 何がこようとも、自分がどんな曲面になろうとも、ブレずに、自分の気持ちを崩さずに戦いたい」「40歳という大台の年、膝を手術したこと、新井が入ってきたこと。近年にない刺激的な感じだ。どんな苦労苦難が待ち受けているのか恐怖感があるが、なるようになるという考えで、ぴちぴちとした若い感覚で野球をやっていきたい」
3月28日、京セラドームでの開幕試合、対横浜戦、2点を追う阪神の攻撃4回裏、第2打席で打順が金本に回ってきた。1アウト1,2塁、同点のチャンスにそれまで打線が完璧に抑えられていた寺原の速球を捕らえ右中間に弾丸ライナーが伸びた。赤星と新井が生還し同点打となった。石原トレーナーとの約束「3塁打」を開幕2打席目で達成したのだった。
この試合阪神が逆転勝利しお立ち台に立った金本は今の気持ちを聞かれ「手術して無事開幕に立てたことに、監督コーチ、球団、それとつきっきりでリハビリに付き合ってくれた石原コーチにお礼を言いたい」

翌日の第2戦目で早くも今季第1号HRを打った金本は試合終了後、鳴尾浜に立ち寄り、お世話になった石原トレーナーにHRでもらったトラッキー人形をプレゼントした。その人形は石原家の家宝となっている。