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[玉岡かおる] お家さん 上・下


お家さん 上巻

お家さん 上巻

お家さん 下巻

お家さん 下巻

明治から昭和へ激動の時代、世界中に商売を拡げた神戸の巨大商社・鈴木商店。その頂点にいたのはひとりの女性だった。主人の女房を意味するおかみさんではなく、商家の女主人にのみ許された「お家さん」と呼ばれた鈴木よね――母として、大企業のトップとして生きた女が、その手で育て、守り抜いたものを豊かに描く壮大な書下ろし長篇。


そのむかし、三菱や三井などより大きな商社があったそうな。鈴木商店。個人商店から最盛期は年商日本一、ヨーロッパ諸国では一番有名な日本の会社になったそうです。その会社を引っ張っていたのは、「お家さん」と呼ばれた鈴木よねと言う女主人。
「お家さん」とはこうあります。

妻でない、奥さんでない、といっても、もちろん店員たちの将ではない。「家」。彼らが依るべき場所そのものであり、またそのため彼らが守るべきもの。具体的には動かず働かず、ただ軒の庇を彼らのために広げてその容量の深さ大きさを用意してやる存在だす。

藤原正彦氏の「国家の品格」にもある、日本人としての誇りや大切にすべきことがいろんな箇所ででてきます。義理人情や忠義、もちろん大事だが、狭い範囲ではそれだけで通じるものの、抱える範囲が拡大していくなかでは、合理化の必要性、つまり情と合理化のハイブリッド経営の必要性、またその難しさも物語のなかでも認めています。

わてが何かしたんやとすれば、それは女の繕い物によう似とります。着物であれ雑巾であれ、一枚の布がよう働けるよう、丈夫に重ね、形を整えて縫い合わせます。使うたあげくにくたびれて、布目も薄うなったら、今度は弱いとこに木綿の糸をぎょうさん刺して補強して、また働けるようにして送り出す。ただそれだけです。
繕う、いう字は糸へんに善と書きますやろ。善うなるように、善うなるように、こころを込めてせっせと糸を縫い込めるしか、女のわてにはできんのだす。

「商売の神様は、きれいなとこにしか、居てくださらん。そやから、雑巾がけがこの家の一番大事な仕事なんや」

諸君。西洋国家の先例に照らしても製綱所は国家的事業で、失敗した例はない。途上の苦しさは、最後に成功した時の喜びをひときわ大きゅうするために絶える必要経費や。

世の中には、理屈でない、あかんもんはあかん、というものがおます。それを定めるんは、人としての誇りや、謙虚さや、意地というもんやないでっしゃろか。商売人は儲けたらよろし。そやけど、少なくとも私らは、儲けることだけを第一とするような商売人にはならん、という矜地がおました。

分を知ることだす。百姓には百姓の、商売人には商売人の。私のは私の、あんたにはあんたの。つまらんように見えても、ちゃんと天から与えられた分ちゅうもんはあるのだす。それを知り抜いて、自分の仕事をあなどらず、きちんとまっとうすることや。

この本は鈴木商店という実在した会社の興亡の物語で収まらない。開国して間もない日本で列強に追いつけ追い越せと皆奮え立った男たちと、日向日陰に支え、時代に恋に悩み、戦争や天災に翻弄されながら、それでも凛と強く生きる女性を描いたスケールの大きな物語です。是非映画にしてもらって、映像でも見てみたいですね。