Yasublog

本、土木・橋梁、野球、お笑い、などについて書いてます。

取り返せない失敗

高校野球。ある地方大会の決勝戦、9回裏2アウト、1点差でリードしている。あと1アウトで甲子園出場だ。盛り上がるスタンドの大応援団。ベンチの控え選手も「あと1つ」声をからして声援を送っている。
だが次の瞬間、歓声が悲鳴に変わった。
最後のバッターが打った打球は平凡な内野ゴロ。誰もが甲子園出場!と思った瞬間、痛恨のエラー。痛痛恨恨のサヨナラエラー。捕っていれば甲子園出場・・・。夢と消えた甲子園。
その高校は小さな街にあった。下馬評を覆す快進撃に街中が盛り上がった反動で、決勝エラーをした選手の名を知らない人はいないほどだった。彼への声はほとんどはよくやったという労いの言葉だったが、一部では戦犯扱いのような心ないものもあった。
エラーをした彼はその後、たくさんの葛藤の末、地元の会社に就職して営業マンとなり自らがおかしたサヨナラエラーを自虐ネタにしてたくさんの人にかわいがられ、人生最大の失敗をプラスに変えて生きていった。

これはいつも行っている散髪屋の店員さんから聞いた実話だ。
「GG佐藤が日本シリーズに出てないけど何で?」「怪我ですよ」「そうなん、オリンピックのエラーを引きずってかと思った(笑)」こんな世間話から彼の話を聞いたのだ。聞いただけで胸にジーンとくるものがあった。


本人の意思とは別次元で周囲の期待が高まって、引くに引けないことってあると思う。普通あまりない経験かも知れないが。大観衆の中で人生最大の失敗をしてしまったら、それは自分の中で消化しきれる代物ではなくなってしまう。チーム競技だと個人の失敗がその他のメンバーの人生を左右することだってあるし、「挫折」という言葉が軽々しく感じるくらいの失敗。



GG佐藤は(いずれ野球競技が復活するとして)4年後8年後に五輪でリベンジできる可能性がある。「失敗のひとつやふたつでクヨクヨしない。やり直せばいいんだから」的な励ましの言葉もあるが、取り返せない失敗、再挑戦の許されない戦いって事実、存在する。時間軸は、春夏秋冬のようにサイクルしている時間軸と、二度と戻ってこない一直線の時間軸とがあると思う。


甲子園を賭けた最後の試合での決勝タイムリーエラー。二度と戻ってこない一直線の時間軸上にある高校3年の夏、取り返せるはずがない。いち観客は「悲劇」「悲運のヒーロー」などで高校野球のもつ儚さ、魅力という言葉に置き換えて、時間が経つとともにいずれ記憶から無くなっていくのだが、当事者の彼が負った傷は一生消えないのだ。


単純に考えると、彼はそのエラーをその後の人生においてプラスにできるかマイナスにしてしまうかのどちらかしかない。住む場所を変えて過去をリセットしエラーを無かったことにして生きていくのもひとつの選択肢だろう。しかし実際無かったことになんかできるハズなどない。


その後の彼の生き方のように、人生最大のエラーで負った傷をプラスに変えることもできるのだ。彼が選んだ職業、営業マンになって人生最大のエラーをお客さんとの商談の武器にしたように。彼にしか持てない武器として。


人生最大の失敗を前にして、嘆き塞ぎ込むのは誰しもだ。でもいつまで経ってもそれじゃつまらない。人生最大のエラーをした過去の自分に逢いに行ったときに、ヘコんでる自分の背中に向かって「気にするな、未来の自分はこの失敗を力に変えて強く優しく生きているよ」と言えるかどうか。冒頭の彼は少なくともそう言える人生を送っているのだと思う。簡単ではないだろうが。