Yasublog

本、土木・橋梁、野球、お笑い、などについて書いてます。

なぜ彼の走りは感動を巻き起こしたのか?


古典的な被りもので東京の大都会を駆けた彼が、ここまでお茶の間を感動と笑いの渦に巻き込んだのは何故なのか?
どうしても気になるので考えてみました。


・究極の緊張と緩和

お笑いで「緊張と緩和」の法則があります。その振れ幅が笑いの大きさを表すものです。あの錚々たるトップランナーが形成する緊張感漂う先頭集団に、あのズラ姿は究極の緩和です。このシュールさは松本人志板尾創路にも真似できないでしょう。
笑点でもやってましたが、葬儀屋が「毎度」「ポイントカードお持ちですか?」が禁句であるように、あのエリート集団内で被り物はあり得ないことなのです。誰もが持ってる「ぶち壊したい空気」を彼は見事に破ってくれたのです。これは各国のトップランナーと市民ランナーが一緒に走るシティーマラソンならではです。

・アンチ効率化社会、アンチ権威

スタートから5kあたりまで先頭集団につけていた彼も徐々に後退してしまい、次第にテレビカメラから遠ざかっていきました。テレビを見ていたほとんどの人が、「彼もここまでか」「5kも楽しませてくれてありがとう」と、もう会えないと思ったに違いありません。
ほんの僅かとは言え、ズラ雄姿を全国中継のテレビに映すことが目的なら十分成し遂げた彼だから、ズラを途中脱ぎ捨てて楽な体でゴールまで走るんだろうな、とみな思ったはずです。しかーし、その予想は見事に裏切られます。彼がテレビ画面から消えてから約2時間後、なんと女子1位の選手の横を力走する彼をカメラが捉えたではありませんか。それもズラのまんま!映画「アルマゲドン」で通信が途絶えて誰もが諦めかけた瞬間にシャトルと交信が再開した感動に似ていると思います。
たとえば売れ出したとたん過去のプロフィールを書き換えちゃう芸能人とは違い、最後まで走りきるにはお荷物な被りものを、彼は脱ぎ捨てずに最後まで一緒にゴールしたのです。スタート(デビュー)当時の姿のままで。

視聴率UPのために今回も沢山の有名人が参加していましたが、そんな豪華キャストをあざ笑うかのように無名の関西人ランナーがある意味主役を奪ってしまう滑稽さ。マラソン素人の豪華芸能人と人気芸人を司会者としたキャストが、お笑い素人のトップランナーひとりに負けた瞬間だったのかも知れません。

それとゴール後に振り返って一礼した姿には礼儀正しさ、人柄が映し出されていました。ただのいちびりではなかったことに見ている人もさらに高感度UPしたのでしょうね。