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[藤沢武夫] 経営に終りはない


経営に終わりはない (文春文庫)

経営に終わりはない (文春文庫)

「おれは金はもってないけれど、金はつくるよ」著者・藤沢武夫はこう言って本田宗一郎とコンビを組んだ。単に一企業の儲けを考えるのではなく、社会的責任を全うするという愚直な道を選び、なおかつ本田技研を二人三脚で世界的企業に育て上げた名経営者が、初めて明かす、自らの半生と経営理念。


戦後に創業して世界的企業に成長した数少ない会社がホンダです。技術の本田、経営の藤沢という名コンビで知られています。ソニーの井深氏と盛田氏のコンビが有名です。番頭が強い組織はいい回転をすると思います。会社に限らず、組織といえるものすべてに当てはまるのではないでしょうか。トップが理想を語り、番頭が現実的なレベルで実践し、回していく。著者も歴史的な技術者・本田宗一郎の夢を実現するために、お金や組織を作ってきたのですね。希有な二人が出会ったのは偶然でもあり必然でもあると思いました。昭和61年に出された経営指南書ですが、今読んでも全然色あせないですね。

そのような出会いがあって以来、私は人間を判断するときには、その人の家庭を見るようになりました。人と人との間を結びつける条件は、まず信頼であり、いたわり合いであると思います。その基本は家庭にあるんですね。

中国文学の吉川幸次郎先生が、「経営の経の字はタテ糸だ」と書いておられるが、うまいことをおっしゃる。布を織るとき、タテ糸は動かさずにずっと通っている。営の字のほうは、さしずめヨコ糸でしょう。タテ糸がまっすぐに通っていて、はじめてヨコ糸は自由自在に動く。一本の太い筋が通っていて、しかも状況に応じて自在に動ける、これが「経営」であると思う。

本田はあれだけの技術者でありながら、自分から設備や機械をほしいといったことがない。与えられた条件のなかで、可能性を見つけようとする。決して弱音を吐かない。

「おれ、これ拾ってきたよ」といって、本田がポケットから出したのが、クロス・ネジ(頭にプラスの刻みが入ったネジ)です。物を接着するには溶接とネジ締めという方法がありますが、それまで日本にはマイナス・ネジしかなかった。マイナス・ネジは手作業で、ドライバーで締めるしかない。ところが、クロス・ネジだと圧搾空気を使って機械で締めることができる。たいへんな能率の違いです。たかがネジ一本と思うかもしれませんが、これが革命的な生産性向上をもたらす代物だった。

このとき、みんなに万物流転ということについて話しました。世の中には万物流転の法則があり、どんな富と権力も必ず滅びるときが来る。しかし、だからこそ本田技研が生まれてくる余地があった。だが、この万物流転の掟があるかぎり、大きくなったものもいずれは衰えることになる。その掟を避けて通ることができるかどうかを勉強してもらいたいということなのです。

本田技研の経営を担ったのは私でした。それは会社のなかで知らない人はほとんどなかったでしょう。もっとも、最近入社した人は知らない。しかし、だからといって、それならば私に社長が務まるかと言えば、それは無理です。社長には、むしろ欠点が必要なのです。欠点があるから魅力がある。つきあっていて、自分のほうが勝ちだと思ったとき、相手に親近感を持つ。理詰めのものではだめなんですね。

いまみんなで組織を研究してもらっておりますが、ここでいままでの三角形の組織というものはどういうものかというと、これは欧州やアメリカでやってきたものなんです。もちろん、いまでも、三角形の組織というものは守られているんですが、それは浮き沈みの苦しい土壇場の、つぶれるかつぶれぬかの瀬戸際のなかで育ち、成長してきている。しかも、アメリカなどでは、早くから受注生産産業から脱却して、民主主義の下で、見込生産産業をやってきている。ところが日本は、戦前の受注生産――軍から注文をもらうと、原価をはじいて、これだけかかりますというと「そうか、それでは頼む」――といったようなやり方でやってきた。

社長でもあり、技術者でもあるというようなことでは、組織は定まらないんです。社長をとるか、技術者をとるかという選択を迫られた本田が、このとき社長業というものの在り方をすなおに受け取ってくれたことで、私の組織図は完成したんですね。

排気ガスをおさえるエンジンは、ホンダで解決することができた。しかし、対策を考えることとそれを解決することと、どちらがレベルが上かといえば、それは考えることののうが上です。その思想にもとづいて、解決策が生まれてくるんです。ひとつの正しい理論があると、それが政治に優先するのがアメリカという国です。その理論が自国に有利か不利かなどということは問わない。これは一等国だと思います。

大事な点は、物真似ではなく、高回転を思いつき、実行し、今日ではあたりまえとなったものに仕上げたことです。一千回転速くすると、どこかに摩擦とか故障が起きます。片方が丈夫になれば、片方が弱くなる。それをにらみ合わせながら、部品の材質や加工を追求してゆくのです。


[田中詔一] ホンダの価値観 - Yasublog