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[小川洋子] 猫を抱いて象と泳ぐ


猫を抱いて象と泳ぐ

猫を抱いて象と泳ぐ

伝説のチェスプレーヤー、リトル・アリョーヒンの、ひそやかな奇跡を描き尽くした、せつなく、いとおしい、宝物のような長篇小説


デパートのイベントで屋上の小さな遊園地にやってきた子象が予想外の人気で帰るタイミングを逸し、しまいには大きくなりすぎてエレベータで降りることができなくなってしまい、一生を屋上で過ごすことになった。この始まりからしてせつない。主人公の少年は生まれながらの奇病で友達が少ない。こんな子は心優しく普通の子が感じない些細な事柄にも心を砕ける優しさがある。チェスは普段身近ではないがなんとなくだがチェスの世界を体感することができた。それは強ければそれで良しとはしない、強い者ほど品格のある形(棋譜)を求められる真摯なゲームであるのだ。少年のチェスの師匠は巨漢でバスから出れなくなって死んでしまう。少年は師匠の指導のおかげで開花した天賦の才能を生かしてチェスの世界へと踏み出していく。物語後半で少年と少年が想いを寄せるミイラが交差する場面はとてもせつないファンタジー小説本屋大賞2010第5位作品。

取り返しのつかない事柄を蒸し返しても楽しくはないと、インディラの場合から少年は学んでいた。なぜもっと早く動物園へ行かなかったのか、なぜ隙間へ入ったのか。それはもう決して取り返しのつかないのだと知った瞬間の、悲しみをよみがえらせるだけの質問だった。

「慌てるな、坊や」男は言った。それ以降、男が少年に向かって幾度となく繰り返すことになる台詞だった。

キングを追い詰めるための最善の道筋をたどれる者が、同時にその道筋が描く軌跡の美しさを、正しく味わっているとは限らない。駒の動きに隠された暗号から、バイオリンの音色を聴き取り、虹の配色を見出し、どんな天才も言葉にできなかった哲学を読み取る能力は、ゲームに勝つための能力とはまた別物である。

「哲学も情緒も強要も品性も自我も欲望も記憶も未来も、とにかくすべてだ。隠し立てはできない。チェスは、人間とは何かを暗示する鏡なんだ」

「つまり最強の手が最善とは限らない。チェス盤の上では、強いものより、善なるものの方が価値が高い。だから、坊やの気持ちは正しいんだよ」

そういう場合、彼が最も重視したのは棋譜の美しさだった。相手が強ければ、ギリギリのせめぎ合いから自ずと研ぎ澄まされた手が繰り出されてくる。しかし弱い相手は、しばしば間の抜けた鈍重な一手を指してしまう。その時彼は、相手の足元をすくい鈍重さをあからさまに晒すような手ではなく、新たな風を巻き起こし視界を広げるような手でお返しをする。棋譜に記される一行が調和する方向に目を向ける。多少遠回りになっても、結局はその遠回りが勝利を導いてくれる。

「口のある者が口を開けば自分のことばかり。自分、自分、自分。一番大事なものはいつだって自分だ。しかし、チェスに自分など必要ないのだよ。チェス盤に現れ出ることは、自分の言葉では説明不可能。愚かな口で自分について語るなんて、せっかくのチェス盤に落書きするようなものだ」