Yasublog

本、土木・橋梁、野球、お笑い、などについて書いてます。

[吉田修一] 横道世之介


横道世之介

横道世之介

横道世之介。長崎の港町生まれ。その由来は『好色一代男』と思い切ってはみたものの、限りなく埼玉な東京に住む上京したての18歳。嫌みのない図々しさが人を呼び、呼ばれた人の頼みは断れないお人好し。とりたててなんにもないけれど、なんだかいろいろあったような気がしている「ザ・大学生」。どこにでもいそうで、でもサンバを踊るからなかなかいないかもしれない。なんだか、いい奴。――世之介が呼び覚ます、愛しい日々の、記憶のかけら。名手・吉田修一が放つ、究極の青春小説!


主人公横道世之介は長崎から東京の大学に合格し上京してきた18歳。マンションの隣人でヨガのインストラクター小暮京子、入学式で知り合った倉持、阿久津唯、同性愛者の加藤、娼婦っぽい年上の片瀬千春、自動車教習所で出会った与謝野祥子。都会で出会った人々との新しい生活。また地元の両親や近所のおばちゃん、高校時代の友人や元カノとの再会。東京と故郷とのバランスが50:50を越える瞬間があったり。時は1990年ごろで携帯電話もインターネットもなく今よりまだゆっくりした時間が流れている時代。学生時代の今と社会に出たその後をカットバック形式でうまく伏線を張った内容はさすがにうまい。人を踏み台にして幸せを掴む人もいれば、人を幸せにする存在の人もいる。世之介は後者。学生時代の友人は自分のことを覚えているだろうか。同窓会などで会えば「元気にしてた?」と言葉を交わすが、何年も会っていない友人をたまには「元気にしてるのかな?」と思い出すのもいいなと思えるちょっとビターなでも暖かい青春小説。

先生、あんまり勉強しなくても、俺に受かりそうな東京の大学って、どこかないですか?志望校を決める面談での自分の言葉が蘇る。自分のように「まず妥協」の人間もいれば、世の中には「まず人生」の者もいるらしい。

世之介と出会った人生と出会わなかった人生で何が変わるだろうかと、ふと思う。たぶん何も変わりはない。ただ青春時代に世之介と出会わなかった人がこの世の中には大勢いるのかと思うと、なぜか自分がとても得をしたような気持ちになってくる。

伝票を持って千春は慌ただしく出ていった。一人残された世之介の頭の中には、奢ってよ=完璧なレストラン&バー=「ポパイ」購入という方程式が浮かんでいた。

しかしこの仕事を始めてからつくづく思うのだが、大切に育てるということは「大切なもの」を与えてやるのではなく、その「大切なもの」を失った時にどうやってそれを乗り越えるか、その強さを教えてやることなのではないかと思う。

彼らに同情したり悲しんだりしてくれる人なら世界中にいる。でも私たちは同情したり、悲しんだりするためにここにいるんじゃない。じゃあ何のためにここにいるのか?それを自分で探すのだと。

でも最近こんな風にも思うようになったのよ。あの子はきっと助けられると思ったんだろうなって。「ダメだ、助けられない」ではなくて、その瞬間、「大丈夫、助けられる」と思ったんだろうって。そして、そう思えた世之介を、おばさんはとても誇りに思うんです。