Yasublog

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[森見登美彦 ] 夜は短し歩けよ乙女


夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

「黒髪の乙女」にひそかに想いを寄せる「先輩」は、夜の先斗町に、下鴨神社の古本市に、大学の学園祭に、彼女の姿を追い求めた。けれど先輩の想いに気づかない彼女は、頻発する“偶然の出逢い”にも「奇遇ですねえ!」と言うばかり。そんな2人を待ち受けるのは、個性溢れる曲者たちと珍事件の数々だった。山本周五郎賞を受賞し、本屋大賞2位にも選ばれた、キュートでポップな恋愛ファンタジーの傑作。


ずっと存在は知ってたけどいまいち手に取るまでにはいかず。そんな分厚くもなかったので買って読んでみたら予想以上に面白かった。面白くしているのは主人公二人の妄想。予ねてより「妄想は世界を救う」主義者であるYasuにはツボなセリフが多かった(笑)。京都を舞台にした昭和的な香りを残す物語。お酒あり、恋心あり、笑いあり、すれ違いあり、傷心あり、スピード感ありなこの小説を一言でどんな本かと聞かれたなら「妄想男子と天然彼女のファンタジーな学生恋愛コミック小説の傑作」と答えるとしよう。

和気藹々と二次会へ流れ去ろうとする人々のなかにあって、私は彼女と私を結ぶ赤い糸が路上に落ちていないかどうか、鵜の目鷹の目で探していた。

古本市をさまよっている彼女は一冊の本を見つけ、意気込んで手を伸ばす。そこへ伸びてくるもうひとつの手。彼女が顔を上げると、そこに立っているのは私だ。私は紳士的にその本を彼女に譲ってあげるにやぶさかでない。彼女は礼儀正しくお礼を述べるだろう。すかさず私は優雅な微笑で応え、「いかがですか。そこの売店で冷やしたラムネでも飲みませんか」と誘うのである。
どこまでも暴走する己のロマンティック・エンジンをとどめようがなく、やがて私はあまりの恥ずかしさに鼻から血を噴いた。

一軒の古本屋の前で、文庫本を手にとってしげしげと眺めている小柄な女性がいて、その後ろ姿が彼女によく似ている。夏に合わせて短く切った黒髪がつやつやと光っている。彼女が後輩として入部してきて以来、すすんで彼女の後塵を排し、その後ろ姿を見つめに見つめて数ヶ月、もはや私は彼女の後ろ姿に関する世界的権威といわれる男だ。その私が言うのだから、間違いない。

彼女と同じ一冊に手を伸ばそうなどという幼稚な企みは、今となってはちゃんちゃらおかしい。そんなバタフライ効果なみに迂遠な恋愛プロジェクトは、そのへんの恋する中学生にくれてやろう。男はあくまで直球勝負であると私は断じた。

地平線上にクリスマスという祭典がちらつきだし、胸かき乱された男たちが意図明白意味不明な言動に走り出す暗黒の季節の到来を告げるのは、学園祭の開催である。

初めて言葉を交わしたあの日から、彼女は我が魂を鷲掴みにし、そのたぐいまれなる魅力は賀茂川の源流のごとく滾々と湧き出して尽きることがない。かつて「左京区と上京区を合わせてもならぶものなき硬派」という勇名を馳せた私が、今やなんとか彼女の眼中に入ろうと七転八倒している。私はその苦闘を「ナカメ作戦」と名づけた。これは、「なるべく彼女の目に留まる作戦」を省略したものである。

その年の学園祭における私の奮闘は、賞賛に値するであろう。神様のご都合主義に頼りっぱなしという面をひとまず措けば、まず「命がけ」といっても過言ではなく、京都市役所前広場にて京都市長から表彰され、バニーガールにもみくちゃにされて然るべき努力をした。

もちろん私は普段から精神を研ぎ澄ましているような人間ではありませんが、その「ボーッ」は、「ボーッ」の中の「ボーッ」、「世界ボーッとする選手権」というものがあれば日本代表の座も間違いなしと思われるほどの筋金入りのボーッであったのです。

(風邪で)倒れた部員たちの下宿を彼女が見舞いに訪ねて甲斐甲斐しく神仙粥や玉子酒をこしらえているという話を耳にすると、「俺もいっちょ小粋に風邪でも引いてみるか」という気になったが、そう思うとなかなか風邪の神は私を来訪しない。当て事は向こうから外れるものである。

身動きもせずに布団内部の網を凝視しながら、私は根本的な大問題へ挑んだ。彼女と出逢って半年以上、私が外堀を埋める機能だけに特化し、正しい恋路を踏み外して「永久外堀埋め立て機関」と堕したのはなぜか。