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[辻野晃一郎] グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた


グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた

グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた

VAIOスゴ録。大ヒット商品を次々生み出した男は、なぜ愛してやまないソニーを去ったのか―。その後、グーグルの日本法人社長を務めた著者が振り返るソニーでの22年間とグーグルでの3年間。興奮と共感のビジネス戦記。


ソニーの設立趣意書にこんな記述があります。

「いたずらに規模の大を追わず。経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する」

現在のソニーの経営規模は、設立時には想像だにしなかった規模にまで大きくなってしまいました。井深さんや盛田さんのようにごく少数の尖った(=優れた)人の意見が周囲の意見を押しのけて通った創業時代はトランジスタラジオやウォークマンなど世界的ヒットを連発できました。経営規模が大きくなりすぎてしまった昨今は、天才的に尖った人の割合がその他圧倒的に大多数を占める平均値な人に埋もれてしまうようになり、普通に安全運転してしまう会社になってしまったのかも知れないですね。時代を変えるような発想はその時点では大多数の人には理解できないものですから。一部の尖った優秀な人材がソニーを辞めていっている現状は寂しい限りです。
ソニーの事業部トップとグーグル日本法人社長を経験した著者ならでは、リアルな製造業とリアルの向こう側にあるIT企業の経営手法・意志決定・スピードの違いなど、興味深く読めました。

彼の知り合いの金融外資幹部の外国人が言うには、日本人はバッファローの群れなのだそうだ。敵が近づいて来たことを察した一頭が走り出しても、群れ全体は全く動かない。しかし、その一頭に気付いた他の一頭が後を追い、またその一頭に気付いた他の一頭が後を追う。これを繰り返し、全体の約二割が追走し始めると、残りの八割が一気に同じ方向に走り出す。いわゆる二割八割の法則そのものである。

ソニーでは、「上司にやめろと言われたくらいでやめるようなら最初からやるな」というカルチャーがあった。井深さんの語録の中にも、「自分がいいものに気がついたら納得するまでやって、上司も納得させなければならない。トップがわからなかったらケンカしてでもいいところをわかってもらえるよう、とことんやっていかないと本物にはならない。ただ、アイデアだけ出して、独創性だ、独創性だと言っても仕方ないんだよね」というものがある。アップルのスティーブ・ジョブズも、下から上がってくるアイデアや提案を最初は必ず全否定して、それでも食らいついてくる提案にのみ耳を貸す、という話を聞いたことがある。

私から皆さんにあらためてお願いしたあいことのひとつは、自分の業務をミクロにばかり見ていると大局的な視点や考察が弱くなってしまいますから、自分の仕事、自分の職場、自分の事業部、自分のカンパニーを「全体の中の部分」という視点であらためて見直していただきたい、ということです。

申し上げるまでもなく、世の中はすべて「関係論」の中に成立しています。自分の現在の業務や自分の職場が単独で存在しているわけではなく、家電やIT業界の中にソニーが存在し、そのソニーの中に現在皆さんが所属するカンパニーが存在し、そのカンパニーの中に皆さんの職場が存在するわけですから、今回のような危機が発生しているのはまさに皆さんの日頃の業務の帰結、ということも出来るわけです。

「これが当たり前」と思っている常識やルーチンの中に、盲点がたくさん隠れているからです。業務の定型化やルーチン化はプロセスの安定のためには非常に重要ですが、一方で、変化を阻む要素にもなります。今は一度、商売の原点や商品開発の初心に戻って、「全てが緊急プロジェクトである」という意識で仕事に臨む姿勢が特に重要であると考えています。

すなわち、今や、デジタルエンターテインメントの世界は、インターネットと連携した優れた生態系をトータルで作り上げることが勝負なのであって、昔のようにオフバランスのデバイスの優劣で勝負が決まる時代ではなくなった。しかし、当時の旧ウォークマン部隊の人達は、iPod対抗を議論するときに、依然として「音質の良さ」とか「バッテリーの持ち時間」、果ては「ウォータープルーフ(防水加工)」などの話を主題として持ち出してくるので唖然とした。

人間はあまりにも忙しすぎると、自分がやっている仕事の本質的な意味を忘れてしまう傾向がある。たとえば、何をするにも、一旦スケジュールが決められて、それに合わせて動き始めると、目先のスケジュールを守ることが優先されて、目標それ自体の意味を考えなくなる。古典的な経済学の法則にトーマス・グレシャムの「悪貨は良貨を駆逐する」というものがあるが、これを拡大解釈して「能率の追求が有効性の考察を排除する」ということで、「組織におけるグレシャムの法則」としても提唱されており、このような傾向を一般的に説明した最初の人は、アメリカのハーバード・サイモンという学者である。

逆に言えば、クラウド・コンピューティングを一般の企業が導入した場合、そのワークスタイルや経営スタイルも一緒に変えていかないと、クラウドの本当のよさは生きてこない。簡単な例を挙げると、クラウド環境では、ひとつの文書に同時に複数の人がアクセスして、ミーティングの最中にその場で議事録を作成し、会議に出ていない社員ともリアルタイムで内容を共有することもできる。しかし、組織運営や組織カルチャーが縦割りとかヒエラルキーを重んじていて、稟議書を回さないと議事録の共有ができない、などというスタイルでは、せっかくのスピードが失われ、グラウドのメリットが生きてこない。

私は、ネット時代に日本が出遅れる状況になったのは、一つには、日本人の完璧主義によるものがあるのではないかと感じている。製造業において世界に冠たる大企業を多く生み出した日本は、ISO9000に則った品質マネージメントシステムなどを作り上げ、鉄壁な品質管理において圧倒的に世界に先んじた。
しかしながら、「瑕疵がない、壊れない、壊れにくい」ことを前提にしたモノ作りの体質は、スピードが求められるネット時代のネット関連製品においては、必ずしも合理的とは言えなくなった。