Yasublog

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[有川浩] 海の底


海の底 (角川文庫)

海の底 (角川文庫)

4月。桜祭りで開放された米軍横須賀基地。停泊中の海上自衛隊潜水艦『きりしお』の隊員が見た時、喧噪は悲鳴に変わっていた。巨大な赤い甲殻類の大群が基地を闊歩し、次々に人を「食べている!」自衛官は救出した子供たちと潜水艦へ立てこもるが、彼らはなぜか「歪んでいた」。一方、警察と自衛隊、米軍の駆け引きの中、機動隊は凄絶な戦いを強いられていく―ジャンルの垣根を飛び越えたスーパーエンタテインメント。


有川浩作品は『阪急電車』をはじめて読んだので、本作とのギャップにびっくりした。初期の作品はSF・ミリタリーが多かったようですね。人間と同サイズのザリガニが横須賀の岸壁を占拠して逃げ惑う人間を食べ散らす・・・。ちょっと読み続けるのを躊躇する冒頭でしたが、巨大なゲテモノが暴れまわるだけでなく、危機に対応する警察や自衛隊の出動境界線などの政治的な問題点も指摘しているし、潜水艦に閉じ込められた子ども達の間に起こるトラブルや家族模様などヒューマン要素も盛り込まれていて、面白かったです。映像化はどだろう(笑)。

「治安維持は警察の誇りなどとつまらん意地を張っている場合じゃない。こんな非常識事態で警察と防衛省が貢献度を競い合って何になる。しかるに官邸では警察畑と防衛省畑がまたぞろイニシアチブ争いだ。これに内閣保身の日和見主義まで加わるとあらば、官邸会議など小田原評定も同然だ。結論が出る前に横須賀が終わるぞ」(烏丸参事官)

それにしても右足を失うことは、その隊員の人生にとってあまりに重い犠牲に違いないのに、警備本部ではそれは、「重傷者、一」の端的な事実――未だ機動隊から殉職者を出していないという誇るべき成果としてしかカウントされない。

もう習い性になっているのだ。気丈なことも我も感じさせるのに、いつも自分が折れて丸く済まそうとするのは折れずに我を通せる環境をもう持っていないからで、喋らなくなった弟を庇って新しい環境に居続けるにはあらゆる場面で折れるのが一番簡単だったろう。それを習い性にするまでどれほど苦しい思いをしたのか、想像すると痛ましい。

「残念ながら、諸君がどれだけ健闘しようと意気に感じて次戦力を投入してくれる人間は官邸に存在しない。諸君が健闘すればするほどこのまま何とかなるんじゃないかと日和る連中だ。業を煮やした米軍が横須賀爆撃の準備を着々と進めているにも拘わらずな」

「恥をかくために恥をかけ、無体な命令であることは承知の上だ。しかし横須賀を守るために、日本を国辱から救うために必要な恥だ。早急に自衛隊の投入を決定させるためには官邸に警察の完全な敗北を見せつけるしかない」

「次に同じようなことがあったら今より巧くやれるようになる、そのために最初に蹴つまずくのが俺たちの仕事なんだ」