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[栗城史多] 一歩を越える勇気


一歩を越える勇気

一歩を越える勇気

「人に感動してもらう冒険を行い、一歩踏み出す勇気を伝える」。人が生きていけないデス・ゾーンといわれるヒマラヤ8000メートル峰から、インターネット生中継を行い「冒険の共有」を目指す登山家・栗城史多の初の著書。世界七大陸最高峰の単独登山や、8000メートル峰の単独・無酸素登山を通して学んだ「夢のかなえ方」「あきらめない生き方」をつづったこの本は、ビジネスマンや学生からも多くの感想が寄せられ、単なる冒険本としてではなく、人生そのものに役立つ本として支持を集めている。栗城史多はなぜ山に登るのか、なぜ命をかけて生中継をおこなうのか、彼の思いを知りたい人、達成したいと思う目標が一つでもある人は、必読の一冊。


年末にjkondoさんの(憂鬱な気持ちとクリエイティビティ)記事でこの本を知ったのですが、読んでみてとても良かったです。冒険家といえば“IT”とは対極に位置するようなイメージがあったのですが、この本の著者栗城氏はちょっと違います。夢はインターネットでエベレストの頂上から生中継をすること、「冒険の共有」です。デジタルネイティブの中から冒険家が登場してもおかしくはないのですが、ITによって実現する感動や情報の共有が冒険の世界にも広がっていることを、興味深く感じました。栗城氏は8000メートル級の登山でも通常の荷物とは別に数キロもするカメラや中継機材を背負って登るそうです。それだけでもかなりのハンディがありますね。来年のチャレンジで成功することを祈りたいと思います。


http://kurikiyama.jp/

ある方が、成功の反対は失敗ではなく、何もしないことだとおっしゃっていました。失敗は成功と同じカテゴリーにあるのです。

心の中でずっと、描きつづけている景色がある。「空のように青く、宇宙のように無限な心」果てしなく高く、透き通った青。それを描きつづけるために僕は山を登る。

生き抜くこと――それは最期に感謝できる人生を送れるか。
山に行っても行かなくても、いずれ人には、必ず死が訪れる。8000メートル峰など、危険なところに行っていると命を無駄にしているように思われることも多いのだが、けっしてそうではない。むしろ「死」と隣り合わせになることで「生」を感じ、生きていることへの感謝の気持ちが出てくるのだ。死を覚悟することによって、自分は何のために生きるのか、何に命を果たすのかを考えるようになる。

しかし、どうしてお金もコネも何もない、まだ経験の浅い若い登山家が、たった一人で莫大な資金を集め、そして登頂し、夢を叶えることができたのか。それは、自分の夢をたくさんの人に語るということ。

その心のスイッチは、どうやって入れたらいいのか。それには、魔法の呪文がある。それは、「これでいいのだ」という言葉。苦しいことも、不安なことも、すべてあるがままを受け入れること。それに向かって強くなるとか、自分に嘘をついてまで苦しいことを楽しいと思う必要もない。

何かうまくいくときというのは、すべてを受け入れているときなのだ。それをたとえていうなら、心のど真ん中にある状態かもしれない。マイナスの気持ちも、プラスの気持ちも全部がオッケーだというとき、心が一つの丸いかたまりだとすると、その真ん中にある無の状態のようなところに、いつでも気持ちを持ってきておくこと。たとえば、心の右側がポジティブさで、左側がネガティブさだとすると、そのどちらかだけを見ているのではなくて、全部を広く肯定的にとらえる広い目線を持つことだと思うのだ。

山岳部時代の主将の言葉がよみがえる。「登頂グゼをつけろ」山岳部で行った、厳しい冬山。風邪で高熱が出ていても、どんなに天候が悪くても、必ず山に登り、登頂をしてきた。もしそこで断念してしまえば、また同じ状況になったときに断念してしまうようになる。だからなるべく登頂を繰り返し、登頂する癖、そして成長する癖をつけろということだった。