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[羽生善治] 羽生善治の思考


羽生善治の思考

羽生善治の思考

情報を得るために重要なのは選ぶことよりも捨てること」15歳でプロ棋士になって25年名人は何を考え、どんな日々を送っているのか!?25年間のプロ生活で残した言葉とともに羽生善治の勝負哲学と頭脳、考え方に迫る。


プロ棋士という職業。小さな将棋盤を挟んで一定のルールのなかで自由自在に駒を動かし相手の王将を追いつめる。そこはたった二人っきりの世界で助けてくれる人は皆無であり自分がすべてである。おそらくこんな勝負の世界はあまりない。プロの職業には野球やサッカーなどのチームスポーツから、ボクシングなどの1対1の格闘技系などいろいろある。将棋のルールは何十年と変わっていないと思うが、それでも日々変化をしていかないと勝ち続けることはできない。25年間第一線でトップ棋士を張り続ける著者の言葉は勝負師でもあり時に哲学者のようでもある。「将棋盤は狭いが、将棋は大きい」。常人には創造もつかない世界が、狭い将棋盤で繰り広げられているのだろう。将棋はその一手一手が数ある選択肢の中から決断して指されたものの積み重ねが勝敗となって現れる。持ち時間の中、交差点で右か左か真っすぐか、迷い、決断していく。保守的な手だけでは将来に勝ち続けることはできないという。あえてリスクの高い一手を指してその戦いに負けたとしても、そのリスクの積み重ねが数年後の自分を成長させることになる。著者にしか見えない精神世界があり崇高な戦いがあるのだと思う。

簡単に手に入ったものはすぐに消えていく

その根っこにあるものは、自分で決めたことを思い切ってやること。『運命は勇者に微笑む』という言葉が非常に好きなのですが、そこにつながっています。自分にとって、そういう気持ちと決断が一番大切だと思います。ひとつひとつの手が『決断である』と感じています。一手一手を決めるためには、その場面その場面で決断をしなければならない。その決断に対して、自分の指した手に対して、その結果と責任を自分で引き受けなければなりません。

ただ「勝った」「負けた」だけで判断すると、非常に広がりのない世界になってしまうのではないかと思う。だから、結果だけにとらわれすぎないようにしている。白星と黒星だけしか存在しない世界は、草木の生えない砂漠のような気がする。「勝負事だからそれでいい」と言う人もいるかもしれないが、私はそうは思わない。

棋士には、勝負師の側面と研究者としての側面がある。だから、現実主義と理想主義がひとりの人間のなかに混在している。勝負の世界は、完璧なリアリティを求められるところ。一方、リアリティよりも高しょうな理想を追いかけていく部分もある。

最近は、微修正を加えるより高度な内容を求める必要性を痛感している。どうしてそう思うことが多いのか?それは世の中や物事がどんどん変わっていくから。「ひとつのところに留まり続けていれば安全だ」というケースは非常に少なくなっている気がする。これは将棋の世界に限ったことではない。

積極的にリスクを負うことは、未来のリスクを最小限にすること

欠点を裏返すと、それがその人の一番の長所であったりする/ダイナミックに、大雑把に/仮説から結論へ/「定跡」は万能ではない/「知識」は一時的なもの、「知恵」は普遍的なもの/重要なのは「選ぶ」より「捨てる」こと/

ひとつの手を選ぶということは、それまで散々考えた手の大部分を捨てること。たくさん時間を費やした手に対してはどうしても愛情が湧いてしまう。

閃きを得るには、データにとらわれないこと。(中略)羅針盤が利かない状況や場面に飛び込んでいくことが経験としてすごく大切なのではないか。たとえば、見知らぬ土地を旅行するのは、いいかもしれない。知識のない場所で旅行するなり、暮らすことで、適応する力は上がると思う。そういう日常の経験と将棋の盤上の戦いに共通する部分もある。将棋自体は、適応力を試される局面の連続。もちろん、羅針盤の利く局面、利きやすい局面もあるけれど、それが利かない場面もたくさんある。上手に渡り歩くには正に「野生の勘」が必要となるに違いない。

経験には諸刃の剣のような側面もある/守りたければ攻めなければならない/万物は流転する/拮抗した戦いのなかで「美しい手」を求める/技術以外のところに価値を見つける/将棋盤は狭いが、将棋は大きい/問題点が見つかれば解決策が考えられる/苦しい時には別の世界に触れる/波はつくれないが、乗ることはできる/今はツキをためている時期/上達のプロセスは右肩上がりではない/「発見」がひとつのことを長続きさせる/才能とは10年、20年と同じ姿勢で同じ情熱を傾けられる力のこと/考えている中身より費やした時間や努力が決断する時の安定剤になる/棋士は決して逸脱できない法律の中で建物を造りなさいと言われているようなもの/リスクの大きさはその価値を表しているものだと思えばそれだけやりがいが大きい/人間にはふた通りあると思っている。不利な状況を喜べる人間と喜べない人間だ