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[高野和明] ジェノサイド


ジェノサイド

ジェノサイド

急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが…。


あの伊坂幸太郎が大絶賛したという本書。地球上のどこかで常に戦争が行われている。「なぜ戦争はなくならないのか?」の答えがこの本にはある。某大統領の目の前で、反戦、反戦、反戦、反戦・・・と何万回叫ぶよりも、本書を読んでくれと手渡すだけでいい気がしてくる。あらためて「ストーリー」の素晴らしさを感じる。物語は日本、アメリカ、南アフリカを舞台に、ジャングル戦争、未知のウイルス、創薬、スパイ、情報戦争、新生人類などをキーワードに繰り広げられる国境なき壮大な反戦エンターテイメントである。前評判に偽りなし。

多分、自分が子供でいられる時代は終わったのだろうと研人は考えた。昨日までは、自分は大人だと思っていたのに。親というのは、自分の死をもって、最後の、そして最大の教育を子供に施すのだろう。良くも悪くも。

「文系の社会では嘘やごまかしの上手い奴らが出世するが、科学者は一つの嘘も許されない」しかしこうした訓練の副作用として、社交的な場においても必要以上に熟慮し、科学的な見地から発言しようとする癖がついてしまうのだ。美味しいケーキの話題で盛り上がっている一団の中で、味覚受容体の作用機序を考えてしまうとか。

エレベーターで階上に向かいながら、研人は大学入学後の最初のガイダンスを思い出した。新入生たちを迎えた学部長が、胸を張って訓辞をしていた。「君たちが医者になったとしても、生涯で救える患者の数は、せいぜい万のオーダーにしかならない。しかし薬学の研究者になって新薬を開発すれば、百万人以上を救える」

『我々をはるかに凌駕する圧倒的な知性を有する』と書かれている。それがどんな知性かと言えば、『第四次元の理解、複雑な全体をとっさに把握すること、第六感の獲得、無限に発展した道徳意識の保有、特に我々の悟性には不可解な精神的特質の所有』だ。

食欲と性欲の充ち足りた人間だけが世界平和を口にする。しかし一度飢餓状態に直面すれば、隠されていた本性が即座に露呈する。紀元前三世紀の中国の思想家がすでに喝破していた通り、ヒトは「寡なければ則ち必ず争う」生物なのである。

人類はロケットを打ち上げて月面着陸を成功させたというのに、一メートルの高さから落ちる木の葉の動きを予測できないのだ。

「恐ろしいのは知力ではなく、ましてや武力でもない。この世でもっとも恐ろしいのは、それを使う人格なんです」

「すべての生物種の中で、人間だけが同種間の大量虐殺(ジェノサイド)を行う唯一の動物だからだ。それがヒトという生き物の定義だよ。人間性とは、残虐性なのさ。かつて地球上にいた別種の人類、原人やネアンデルタール人も、現生人類によって滅ぼされたと私は見ている」

「善なる側面が人間にあるのも否定はしないよ。しかし善行というものは、ヒトとしての本性に背く行為だからこそ美徳とされるのだ。それが生物学的に当たり前の行動なら賞賛されることもない。他国民を殺さないことでしか国家の善は示されないが、それすらもできないでいるのが今の人間だ」

これまで彼は、戦争の抑止力には政治的指導者の狂気が不可欠だと考えていた。どれだけ多くの核ミサイルを保有しようとも、それが脅威となるためには、スイッチを押しかねない人間が必要だからである。

これが科学だと研人は悟った。親父は大した業績は挙げられなかったけれど、それでも日々の研究の中で、自分しか知らない小さな発見をこつこつと積み上げていたのだ。それが面白くて止められなかったのだ。