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Yasublog

本、土木・橋梁、野球、お笑い、などについて書いてます。

真弓監督の辞任

野球


“いい人” は “いい監督” には、なれなかった・・・



真弓監督の辞任が発表されました。事実上の解任です。
10/13に球団社長が、真弓監督の続投条件を「CS進出」と明言しました。ゲーム差と残り試合を勘案するとCS進出の可能性は非常に厳しかったので、なぜこのタイミングであえて続投条件を発表するのか疑問できたが、フロントも新聞紙上やファンの声を無視できなくなったのでしょう。


真弓監督のその采配についてはいろいろ賛否ありました。否定のほうが圧倒的に多かったですが、監督の仕事はそういうものでしょう。采配に成功したら選手の手柄、失敗したら監督の責任。そんなもんです。

にしても解せない点が多かったのも事実です。僭越ですが、Yasuが真弓監督を評価すると、

  • 在任3年で1度もマウンドに行かない。(コーチ任せ)
  • プレー中の微妙な判定で、驚いた表情をする。
  • 負けてもベンチでヘラヘラ笑っている。
  • 元気がない、暗い。

3シーズンも監督やってマウンドに一回も行っていない監督は過去に例がないのでは??投手コーチに遠慮してたんでしょうが。ベンチ内で驚きの表情はある意味名物になってましたけど、感情をもっと表に出したほうがいいのでは。岡チーフコーチと仲良しなんでしょうが、敗戦続きの中、ベンチでのヘラヘラは見ていてられませんでした。それに感情が顔に出ないので、自然と周辺が暗くなってしまいます。


一番の唖然は、微妙な判定のときに抗議に出ていかない理由を聞かれて、「抗議をしても判定が変わるわけではない」というコメントです。リーダー失格の烙印を押さざるを得ないのです。100回抗議に出てアウト・セーフが覆ることは0.1回以下かもしれないですが、その合理性よりも大切なことがあると思うのです。監督がベンチを飛び出して抗議することで、選手をフォローすることにもなるし、俺も一緒に戦っているぞという姿勢が選手・チームに伝わることのほうがよほど意味があると思うのです。

グランドで合理性を語ったら、平野の一塁へのヘッドスライディングも不要となってしまいます。駆け抜けたほうが速いし怪我の心配もないし。真弓さんの野球人生のなかで、「言葉」で仕事をしたことがないのでしょう。「言葉」で心を動かしたことがないのでしょう。そんな気がしました。現役時代は持って生まれた才能・センスでプレーしてきた人ですからね。


もちろんBクラスの成績は監督だけの責任ではないし、コーチや選手にも問題はあるのですが、最終的には監督に責任が行ってしまうのです。ユニフォームを脱いだら、ほんとにいい人だとは思いますけどね。

作戦面や選手起用は担当コーチ任せ。ある意味コーチ陣にとってはやりやすい監督だったんでしょうね。口も出さない、いいなりの人。裏を返せばヘッドコーチあたりが有能であったら、成績を残して名監督と言われていたかもしれないですね。

3年間おつかれさまでした。金本選手のフルイニング記録やレギュラーの高齢化など、難しいタイミングでの監督就任であったことは間違いないし、思った野球ができなかったのかもしれません。おつかれさまでした。

次期監督の最有力として和田コーチの名前が挙がってますが、真弓さんと同種類の匂いがするのはYasuだけでしょうか(笑)。個人的には元二軍監督の平田勝男さんに一度やってもらいたいです。

 プロ野球阪神の南信男球団社長は16日、真弓明信監督(58)が今季限りで辞任することを発表した。
 阪神は同日、甲子園で広島と対戦したが、デーゲームで巨人が中日に勝って3位以上を決め、阪神の4位が確定した。南社長によると、真弓監督は7日に会談した際、クライマックスシリーズ(CS)進出を逃した場合は、責任を取って辞任する意向を伝えていたという。
 真弓監督は就任3年目で、1年目は4位、2年目は2位。今季は2年契約の1年目だったが、球団が当初の続投方針から解任に転換していた。
 今季の阪神は優勝候補に挙げられたが、打線の不振などで低迷。6月には最下位に沈んだ。その後、2位まで盛り返したが、9月に再び失速し、今月11日には優勝の可能性が消えた。
 球団は後任監督の人選に着手しており、内部昇格や外部からの招聘(しょうへい)も含めて検討しているもようだ。 
◇結果出せなかった
 阪神・真弓明信監督 社長と話して(CSに)行けないなら辞任すると言ってきた。勝負の世界なので勝たないといけない。それだけの戦力を預かって、結果を出せなかったので。(残り試合は)しっかり勝っていく。ファンに喜んでもらえる試合をしたい。
真弓明信監督の略歴
 真弓明信(まゆみ・あきのぶ) 福岡・柳川商高(現柳川高)から電電九州を経て、73年にドラフト3位で太平洋(現西武)入り。79年に阪神へ移籍。83年に首位打者となり、85年は打率3割2分2厘、34本塁打、84打点でリーグ優勝と日本一に貢献。遊撃手、二塁手、外野手でそれぞれ1度ベストナインに選ばれた。95年に引退。通算2051試合に出場し、打率2割8分5厘、1888安打、292本塁打、886打点。09年から阪神監督を務めた。福岡県出身。58歳。(2011/10/16-22:50)
真弓監督辞任を発表=CS進出逃して引責−プロ野球・阪神