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[宮部みゆき] 名もなき毒


名もなき毒 (文春文庫)

名もなき毒 (文春文庫)

今多コンツェルン広報室に雇われたアルバイトの原田いずみは、質の悪いトラブルメーカーだった。解雇された彼女の連絡窓口となった杉村三郎は、経歴詐称とクレーマーぶりに振り回される。折しも街では無差別と思しき連続毒殺事件が注目を集めていた。人の心の陥穽を圧倒的な筆致で描く吉川英治文学賞受賞作。


読み出してすぐに、「何この既視感・・・」と思ったら、「誰か―Somebody」と同じ主人公だった。青酸カリによる連続毒殺事件が話の中心となる一方で、主人公杉村三郎が勤務する編集室にアルバイトで雇われた原田いずみが起こすトラブルの数々。両者の距離がだんだん近づき最後は見事にシンクロする展開。世の中の問題点にも鋭く切り込んだ著者らしいハードボイルド社会派小説。


警察がやれることは、犯罪の後始末だけないいですと言った。「あるとき、私は急に疲れてしまいましてね。そういう”怒り”に付き合うのがしんどくなってしまった。ましてや後片付けばかりやることが空しくなってしまった。同じ苦労するのなら、もう少しーー早い段階で、後始末の一歩か二歩手前で何とかすることはできないのかと考え始めてしまいました」

現代社会では、”普通”であることはすなわち生きにくく、他を生かしにくいということだーー。”普通”の価値は、そこまで下落しているのか。ならば、その反対語としての”特別”には、どれほどの価値があるのだろう。

「不幸ってのは、たいていの場合そうなんだな。あちらを立てればこちらが立たずというふうに噛み合っちまってる。こんがらがってほどけない紐みたいに」

人は皆、幸せの最中にあるよりも、これから幸せがやってくるという確信と期待に満ちたひと時をこそ望むものではあるまいか。

それはいわば、この世の毒を浄める仕事だ。職を捨てても、この世の解毒剤になるにはどうしたらいいのか、あなたは考えたかった。模索し、試したかった。北見氏は、そのとき自分の行く手に、越えて進んで行くべく丘を見つけたのだろう。もう青春ではなくても、胸が高鳴っていたのだろう。バカげている。無謀だ。無意味だ。誰にそう詰められても、妻子を怒らせ悲しませても、だから北見氏は歩き出した。そこに希望があるという、確証はなくとも。

ハードボイルドの定義は一つではないが、同解説で便宜的に書いたものを繰り返しておく。それは「複雑かつ多様で見渡すことの難しい社会の全体を、個人の視点で可能な限り 減刑を原形をとどめて切り取ろうとする」小説のことなのである。(解説より)