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[道尾秀介] 龍神の雨


龍神の雨 (新潮文庫)

龍神の雨 (新潮文庫)

添木田蓮と楓は事故で母を失い、継父と三人で暮らしている。溝田辰也と圭介の兄弟は、母に続いて父を亡くし、継母とささやかな生活を送る。蓮は継父の殺害計画を立てた。あの男は、妹を酷い目に合わせたから。――そして、死は訪れた。降り続く雨が、四人の運命を浸してゆく。彼らのもとに暖かな光が射す日は到来するのか? あなたの胸に永劫に刻まれるミステリ。大藪春彦賞受賞作。


TBS情熱大陸でこの作家さんを知った。「物書き」と「ビッグマウス」ぶりがどうも合致しないと感じたが、本作品のような心に染みる文章力を見るとやっぱり30歳代を代表する実力者なのだろう。不幸を抱えた2家族の兄弟が、台風が降らす雨の日に、雨雲のようにどんよりとした運命に飲み込まれていく物語。妹を乱暴した義理の父を兄が殺害する計画を立てるというストーリーはいささか陳腐と思ってしまうが、後半見事に予想を裏切られ真相があらわになる。兄弟が抱えてしまった重すぎる運命にも、最後に救いが用意されている(文庫版解説で初めて気づいたが)。「自分は小説でしかできないことをやりつづける」とインタビューで語るあたりは伊坂幸太郎へのライバル心なのかどうかは不明だが、他の作品も読んでみたくなった。

どこまで行けば、自分は最悪にたどり着けるのだろう。

が、思えば、胸に苦しみを抱えた人が墓へ足を向けるのは、死人に耳がないことを承知しているからこそなのかもしれない。土の下の大切な相手に、自分の声が届いてしまうのであれば、蓮もここへは来なかった。もし、母がいま耳を持っていて、蓮と楓の現状を聞き知ったとしたら、きっと迷子のように声を上げて泣くだろう。往路も出口も塞がれた暗い露地で、いつまでも泣くだろう。

当たり障りのない答えを返すと、そう、と岸本は目を細めた。頬の上に、優しく小皺がわいた。それはきっと、これまでたくさんの嘆きや哀しみを目にし、それらが持っている差異や共通点を、厭というほど見てきた人だけが浮かべることのできる微笑みだった。その微笑みが無性に温かく、そして遠く感じられ、蓮は墓石の並んでいるほうへと視線を移した。

どこかで雨が降る。そこに人がいる。傘をさすのか。濡れて歩くのか。それとも立ち止まり、首を縮めながら、雨がやむのをじっと待つのか。何が正しいかなんて誰にも判断することはできない。しかし行動の結果は思わぬかたちとなって牙を剥き、人の運命を一瞬でコントロールしようとする。ときには人生の足場を跡形もなく消し去ってしまう。それでも最初の選択は当事者の胸に押しつけられる。人は、手にした傘と空とを見比べて立ち往生するしかないのだろうか。

<解説より>
作家というと、小さいころから莫大な量の小説を読んで、そこからインエスピレーションを得て書く人が多いと思うんですけど、僕はそうじゃないんです。むしろ人と話したり、一緒にお酒を飲んだりするなかで、人間って面白いなあって思うと書きたくなるタイプで。だから「事実は小説より奇なり」という言葉がすっごく好きなんですよね。


小さい頃から本ばかり読んでいたら、多分作家にはなれなかった。人と深く接した時間が長ければ長いほどいい小説が書けるというのが、僕の持論なんです。


だからと言って小説と同じ体験をしてきたわけじゃない。例えば人を殺したりね(笑)。でもそういう感情の”種”は持っているわけで、あとは物語の力でそれをどう膨らませるか。感情の種を集めることを、作家として大事にしています。