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Yasublog

本、土木・橋梁、野球、お笑い、などについて書いてます。

[清武英利] 巨魁


巨魁

巨魁

だから私は、「鶴の一声」をどうしても許すことができなかった。“渡邉巨人軍”との2654日―珠玉のインサイド・ノンフィクション。


読売新聞の社会部記者であった著者だけに読みやすい文章はさすが。出版のタイミングからして暴露系の本かと思ったが、8割がたは球団代表時代の回顧録となっている。権力を監視する立場としてペンを握っていた著者が、球界の権力者を目の前にしたとき「清濁併せ呑む」ことで、理想の球団作りに邁進するのもありだったのでは、と思ったり。ある意味不器用な人なんだろうな。育成選手制度を作るなど球界の功労者であることは間違いないだけに、終わり方は残念でした。でも江川助監督、見たかったなぁ(笑)。

交渉の矢面に立つのは選手関係委員会である。そこに私は加わったばかりで、役職もなかったが、母校・立命館大学の後輩である古田や選手会弁護士とやり合った。頭脳的なリードで知られる古田は、折衝の席でも二人の弁護士に導かれ、怒ったり涙を見せたり、なかなかの交渉上手であった。彼は団交の席で私の目を見て、少しかすれた声を出した。「両者が手を握り合った、といのでは印象が悪い。弱いもの(選手会)が勝った、という形にしないと、世論(の風向き)は変わりませんよ。経営側がここは負けて、悪者になってほしいんです。それがここまで落ちた野球人気を盛り上げることにつながると思うんです」
近鉄が球団を手放すことになった原因の一つは、高額の選手年俸である。パ・リーグのある球団代表がその頃、漏らしていたものだ。「僕の年収は、中村紀洋選手(現横浜DeNA)の五十分の一以下ですよ。恥ずかしながら、うちの球団代表だって一千五百万円以下だ。大赤字の近鉄球団から五億円もらっているのが労働者で、一千万円台の年収の僕ら相手に、労使交渉なんていうのは、逆立ちしていますよ」

悔しさを隠して、堀内は「敗軍の将、兵を語らず」と締めくくった。私は申し訳ないという思いでいっぱいだった。彼は色紙を出されると<少欲知足>と書いていた。積極補強論者ではなく、与えられた戦力で戦うことを美徳としている。こうした指揮官の下で短期的に勝とうとする場合は、周りで支える人間たちが効果的な編成とチーム運営に努めなければならない。ところが、主力選手たちは次々に怪我をして脱落したうえ、若手は伸び悩み、補強もうまくいかなかった。

「清武さんは『社会部員は馬鹿だ、阿呆だ』と罵るけれど、よそに出たらわかります。ずっとましなんだから。阿呆と言われている社会部員が優秀に見えますよ」かつて社会部からニューヨークに赴任して、戻ってきた記者の言葉を思い出した。一方、シンガポールで成功した知人の土建業者がこんなことを言っていたものだ。「そこにないものを探したらいつまでも見つかりませんよ。海の此方にないものは海の彼方にもないんだ。それに気づいて、この土地にしがみつこうとした頃から道が開けていったような気がします」巨人にあるものを数え、足りないものを加えていったほうが再生の近道かもしれない。職員や選手たちと接するにつれ、私はそう思いはじめた。一つひとつの技術は最高、最新のものでなくても、他にない独自の技を統合することによって高い総合力を生み出す。技術者の世界では、それを「システムインテグレーション」(技術統合)と呼んでいる。あるべきものをあるべきところに組み込み、全体として大きなシステムを構築することだ。

「負けてたまるか、という選手の猛烈なエネルギーを結集すると、チームは選手の総力以上のものを発揮するんです」天分、練習、技術を越えて選手のエネルギーを結集できるようなリーダーが存在することも勝利の条件である。しかし、清原はチームの番長ではあっても、その後の高橋由伸阿部慎之助のようなチームリーダーにはなれなかった。晩年の焦りもあっただろう。力で子分は作れても、仲間はできなかったのだ。しかも、彼が君臨している間は、年下の小久保裕紀や高橋らがリーダーシップを取ることもできないでいた。

堀内監督が辞任した2005年オフの退団者は15人。4年連続で優勝を逃し、「どん底」と言われた06年オフには25人、チームの三分の一にも上った。70人という支配下登録選手枠があるため、新たな戦力で巨人を再建するためには、その数だけ力の衰えた選手やチームの結集を阻む者を切り捨てるしかなかった。
チームというものは、川の流れのように変わらないように見えて、いつも新しい流れがうねっていることが理想だ。非情な世界の中心にいるフロントの人間が、「善人」でいられるわけがない。

<移籍というものは、選手だけでなく、家族にとっても人生を賭けた重大な決断であることを、手紙は真剣に語りかけている。そんな分かり切ったことに対して、私はどこまで考えを巡らしていたか。こうした家族の強い決意を、あだやおろそかには扱えないぞ、と思った瞬間に涙がにじんできた>

若者がもつ執念の熱量を、我々は甘く見ていた。平凡にも見える青年が一芸を持ち、心に強く燃やすものがあった場合、あるいは安定したサラリーマン人生を捨てるなど、犠牲にするものが多かったりした時、プロの常識をはるかに超えて、驚異的な成長を遂げるのではないか。<世に材なきを憂えず、その材を用いざるを患う>という。日韓の育成選手の驚異的な成長を見て、人材はそこにいるのだ、という吉田松陰の言葉の意味を実感した。

球界にも野球人にのみ通じる言葉がある。たとえば、「着払い」はひどい振り遅れのことだ。普通なら、宅急便で品物が届いたときにお金を払うことを指すが、この世界では、キャッチャーミットに球が入ったあとに、あるいは入る瞬間にスイングをすることをいう。「球が着いてから払う」という発想からだ。「自衛隊」は守備専門の選手のことだ。球(弾)を滅多に打たないからである。

<仏教の有名な言葉に「少欲知足」という言葉がある。「自分が求めているより、ほんの少し足りないところがあっても、そこで満足できることを知る。それが幸せに生きるコツである」ということだ。これはプロ野球選手に対しては当てはまらないと思った。私がプロで大成しなかった理由として、少し足りなくても満足してしまい、ハングリー精神がなかったと自己分析している。哲学の世界に「幸福のパラドックス」というものがある。幸福は、追い求めれば追い求めるほど、自分の手から逃げて行くというものだ。だが、プロ野球界での成功者はみんな、幸福・成功への深い追求をしている人たちだと思う>(大森スカウト)

フィールドマネージャー(監督)は短期的に優勝を求め、ゼネラルマネージャー(GM)と編成部門は中長期的な展望に沿った勝利を求める。勝利を真剣に模索する組織ははじめから矛盾をはらんでおり、異なる次元にいる監督とGMとの間に摩擦が起きるのも当然のことなのだ。監督と仲良くして次々と補強を受け入れるGMには、そもそも強力なリーダーシップは望めない。異文化と摩擦を恐れてはいけない。二人のマネージャーと組織はぶつかりながら成長していくのだ。