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[三浦しをん] 舟を編む


舟を編む

舟を編む

玄武書房に勤める馬締光也は営業部では変人として持て余されていたが、新しい辞書『大渡海』編纂メンバーとして辞書編集部に迎えられる。個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく。しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか──。言葉への敬意、不完全な人間たちへの愛おしさを謳いあげる三浦しをんの最新長編小説。


2012年本屋大賞受賞作。ひとつのことに生涯を懸ける人の物語として昨年の大賞受賞作「天地明察」と雰囲気は似ている。言葉を、辞書を編纂する仕事はなかなか想像つかないが、ひとつひとつの言葉を大切に扱う主人公には共感できる。登場人物みなが辞書を完成させる想い、熱量が半端ない。一方で仕事以外は平均点以下の凡人たちである。何かを成し遂げる人々というのはある一店において平均よりもずば抜けていて、周囲がどれだけ理解をして見守れるか。金太郎飴のようなバランス人間ばかりでは、新しい世界は作れない。言葉というものは国家のアイデンティティーそのものである。やさしく、強く、面白く言葉を扱える人間になりたい。
この記事を書きながらネット見てたらこんなネタを発見した。「マイナスにマイナスを掛けたらプラスになる理由を教えて」という質問の回答に「寒いねっていうと寒いねって返してくれる相手がいたら温かいだろ?」ってのがあった。言葉って面白い。

「まじめの趣味って、なんなの」友好的な関係への道筋を探るべく、西岡が果敢に話題を振った。唇からはみでていたキクラゲを飲み込み、馬締は少し考えているようだった。「強いて言えば、エスカレーターに乗るひとを見ることです」円卓にしばし沈黙が流れた。「楽しいの、それ」

「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」魂の根幹を吐露する思いで、荒木は告げた。「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かび上がる小さな光を集める。もっともひさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」「海を渡るにふさわしい舟を編む」松本先生が静かに言った。

それにしても気になる。「おーいと言えばお茶」でも「ねえと言えばムーミン」でもなく、「つうと言えばかあ」。なんだ、「つう」と「かあ」って。鶴の化身の女が空へ呼びかけたらカラスが返事したのか。

どれだけ言葉を集めても、解釈して意義づけをしても、辞書に本当の意味での完成はない。一冊の辞書にまとめることができたと思った瞬間に、再び言葉は捕獲できない蠢きとなって、すり抜け、形を変えていってしまう。辞書づくりに携わったものたちの労力と情熱を軽やかに笑い飛ばし、もう一度ちゃんとつかまえてごらんと挑発するかのように。

辞書に魅入られた人々は、どうも西岡の理解の範囲からはずれる。まず、仕事を仕事と思っているのかどうかからして不明だ。給料を度外視した額の資料を自費で購入したり、終電を逃したことにも気づかず、調べもののために編集部に籠っていたりする。

誰かの情熱に、情熱で応えること。西岡がこれまでに気恥ずかしくて避けてきたことは、「そうしよう」と決めてしまえば、案外気楽で胸躍る思いをもたらした。

有限の時間しか持たない人間が、広く深い言葉の海に力を合わせて漕ぎだしていく。こわいけれど、楽しい。やめたくないと思う。真理に迫るために、いつまでだってこの舟に乗りつづけていたい。

用例確認は、語釈にふさわしい用例か、出典である文献から正確に引用されているかを、ひとつひとつ確認することだ。二十人以上のアルバイト学生が作業にあたる。岸辺が苦労して運んだ机に向かい、学生たちは資料と首っ引きになっていた。いよいよ夏休みに突入すると、さらに倍ぐらいの学生が集結する手はずらしい。

「おっしゃること、なんとなくわかる気がします。俺は製紙会社に勤めているんですが、紙の色味や触感を言語化して開発担当者に伝えるのは、とても難しい。だけど、話しあいを重ね、お互いの認識がぴたりと一致して、思い描いたとおりの紙ができあがったときの喜びは、なににも替えがたいです」なにかを生みだすためには、言葉がいる。岸辺はふと、はるか昔に地球上を覆っていたという、生命が誕生するまえの海を想像した。混沌とし、ただ蠢くばかりだった濃厚な液体を。ひとのなかにも、同じように海がある。そこに言葉という落雷があってはじめて、すべては生まれてくる。愛も、心も。言葉によって象られ、くらい海から浮かびあがってくる。