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Yasublog

本、土木・橋梁、野球、お笑い、などについて書いてます。

持ち場

言葉


議論なんてまとまらないのが普通。だからリーダが引き取って最終決定しメンバーが不満持ちながらもついていくというのがベストというかベターである。というお話です。自分の「持ち場」以外の事なら好き勝手言えるし、自分を棚に上げることは人間の得意技です。「正論」は大事だろうけど、すべて実行してたらきりがない。新しいことを1つ決断したら、何かを1つ捨てないといけない。人、もの、金。それらすべてに「制約」があるからこそ、導きだされた最適解には敬意を持ちたいです。

議論を尽くすのは難しい|レジデント初期研修用資料

意見の対立を解決するための手段として、合議というやりかたはどこか危うい。
(中略)
正義で人をまとめるときの副作用は、「頑張る人」を増やしてしまうことであるとも言える。頑張ることはいいことだけれど、頑張ることそれ自体を目標にしてしまうと、もっと効率のいいやりかたを探索する試行錯誤は、頑張る人たちからは悪徳に見えたりもする。
(中略)
リーダーが「頑張ろう」と連呼する組織はたいてい潰れる。「頑張ること」自体が目的になってしまうと、プロジェクトが潰れることは、頑張る人にとってはいっそ本望だったりもする。

「お金じゃないんだ」という人をリーダーにしてはいけないし、たとえば宗教団体を作るのならば、「免罪符」に相当するずるい機能をどこかに用意しておかないといけない。お金の話ができない人を会議室に入れるべきではないし、リーダーは自ら信じる正義をお金に絡める努力を怠ってしまうと、チームが瓦解してしまう。
(中略)
負けた側が、負けたことを「つまらないことだ」と思えない組織は、議決を繰り返すほどに求心力が下がって自壊する。徹底的に議論を戦わせてから多数決で意思決定を行うと、負けた側は徹底的な負け犬になる。同じ状況でリーダーがくじ引きを行うと、負けた側は負け犬ではなく、単に運が悪かった人になる。なんだか馬鹿みたいだけれど、負けたことを馬鹿と思える工夫は、結果として組織の安定性を増す。

帆船の昔、海で進路に迷った船乗りは、これからどの方向に進むべきなのか、易を立てて決めたのだという。昔話の意思決定には易が重んじられる場面がよく登場するけれど、あれもまた、合意に到達できないわだかまりみたいなものを、易や神様みたいな理不尽に転嫁するための、チームを維持していくための知恵だったのではないかと思う。
(中略)
「閉じている」とは、「下らない理不尽が共有できる」ことであるとも言える。「しかたねぇな」が通じる距離感と言い換えてもいい。独断で突っ走るリーダーに、まわりのメンバーは「しかたねぇな」なんて、従わされるのではなく、屈服するのではなく、ため息をつきながらついていく。