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[重松清] きよしこ


きよしこ (新潮文庫)

きよしこ (新潮文庫)


少年は、ひとりぼっちだった。名前はきよし。どこにでもいる少年。転校生。言いたいことがいつも言えずに、悔しかった。思ったことを何でも話せる友だちが欲しかった。そんな友だちは夢の中の世界にしかいないことを知っていたけど。ある年の聖夜に出会ったふしぎな「きよしこ」は少年に言った。伝わるよ、きっと―。大切なことを言えなかったすべての人に捧げたい珠玉の少年小説。


重松清があるTV番組に出演した。言葉がつっかえてうまくしゃべれない吃音症を患っている少年の母親がそのTV番組を見て「あなたに励まされた。吃音なんかに負けるなと息子宛に返事を書いてやってくれませんか」という手紙を重松清に送った。(僕自身、重松清が吃音症を持っているとは知らなかった)。結局手紙の返事は出さなかったが、この小説はその吃音症の少年に宛てた、また多くの同じ悩みを抱える人に向けて書いた優しさあふれる応援小説である。つまり手紙の変わりに小説にして返事を出したのだ。

吃音症(=どもる)を調べてみると「発語時に言葉が連続して発せられたり、瞬間あるいは一時的に無音状態が続くなどの言葉が円滑に話せない疾病(wikipedia)」と、れっきとした言語障害の一種だ。だがこの本を読んでもわかるように、どもることによって周囲の人に笑われ、笑われないようにちゃんとしゃべとうとして緊張すればするほど、さらにどもってしまい、やがて、どうせ笑われるなら黙っておこうと、しゃべることを放棄してしまうことのほうが、それこそ大きな問題なのだと理解できる。

子供はからかい半分のつもりで悪気がないのかも知れないが、「言いたいことをうまく言葉にできないもどかしさ、葛藤、悔しさ」は健常者のどれだけが理解しているだろうか。

もし吃音症の子が必ずどもってしまう発音が自分の名前にあったらどうだろう。転校するたびに最初にする自己紹介で自分の名前を言ってどもってしまい、みなに笑われて恥ずかしい思いをする。場合によってはずーっといじめの原因になるかも知れない。いじめられないかも知れない。父親の転勤話が出ると、また転校先での「自己紹介」で笑われやしないだろうか、いじめられやしないだろうか。吃音症の子はまずそのことが頭に浮かぶということを・・・。

理解しようと努力することが大事だと思う。相手の気持ち、相手の立場にたって、同じ目線で、同じスピードで、しかし特別視ではなく、君と僕はそんな違わないよという普通視で。

重松作品すべてに共通する、「文章の端々ににじみ出るやさしさ」感は、彼の少年時代の体験が元になっていると分かった。

この作品は、「きよしこ/乗り換え案内/どんぐりのココロ/北風ぴゅう太/ゲルマ/交差点/東京」の各短編になっていてどれも少年時代の重松が主人公になっている。個人的には「北風ぴゅう太」が一番泣けた。というか、泣いた。