Yasublog

本、土木・橋梁、野球、お笑い、などについて書いてます。

理不尽に耐える力と体罰問題


 体罰問題が多くニュースになっています。野球部出身のYasuは多少の体罰を受けてきた年代です。「あり」か「なし」かと問われたら「あり」派です。もちろん体罰が度を超えて暴力になってはいけませんが。学生時代の体育会系の指導者や先輩から受ける体罰やシゴキは、社会に出てから待ち受けている理不尽に耐えるための必要悪と思うわけです。「指導者の体罰は指導力のなさを表している」というコメントがありますが、僕はそうではなくて「理不尽さに耐えるための伝統的教育手法」だと思います。金本知憲氏が現役時代に火柱を前にお経を唱える護摩行をオフシーズンに行うことは有名でしたが、これ第三者に強要されたとしたら体罰以外のなにものでもないですよね。プロと学生を同一に語れませんが、自分で自分を律することができない育成途上の人間を指導する側に、体罰の選択肢を与えておく必要があると思います。体罰で問題が発生して、それなら体罰=すべて悪とレッテルを貼るのはある意味易きに流れているだけで、本当に議論しないといけない問題に目を瞑っているようです。教育と体罰の境目って難しい問題ですが、最近の「なにがなんでも体罰はだめ」という風潮すなわち体罰ゼロ社会は、また別の問題を生むような気がしてなりません。


「耐える力、負けない」 イチローが語る競争世代
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD0404H_U3A200C1X11000/

「少なくとも僕にとってはそうだ。職場でつらい時間を過ごさなくてはならない時、その人の支えになっているのは、大切な人の存在以外では、過去に経験した苦しい時間や理不尽な体験であることが多いのではないか。社会に出ると理不尽なことにたくさん遭遇する。正論だけでは生きていけない」


「僕にとって学生時代の理不尽な経験は、高校時代に2年半過ごした寮生活だ。あんな経験は2度とごめんだ。この40年の中では、ずぬけて過酷な経験だったと言える。しかし、この体験はその後の自分を確実に支えてくれている経験でもある。教育のあり方がどうあるべきなのか、とても難しい問題だ」


「世の中にはやりたいことをやれている人などほとんどいない。上司の文句ばかり言っているサラリーマンも大勢いると思うが、本来、やりたくないことに本気で向き合い、好きになろうと努力し、最後は本当に好きになって、結果を出している人は偉いと思う。そんなサラリーマンを、僕は尊敬する」


日本社会=体育会体質/爲末大学
http://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20130215-1083068.html

 いわゆる体育会的性質とは、礼儀正しく、限界を作らず、忍耐強く、空気を乱さず、上には逆らわず、熱意を持って動く。日本のスポーツ界は、こういった資質を持つ人間を育てる仕組みとしてはすごくうまく機能していて、ある意味で日本社会に最も適した人材育成の役割をスポーツが担っていたのではないか。


 でも時代は変わりつつある。グローバル化により年齢や地位を恐れず、自分の考えを主張し、議論できるタイプの人間が必要とされるようになった。イノベーション(物事の新機軸)やクリエーティビティ(独創的なアイデア)が必要とされ、無理やり1つの型にはめ込もうとする教育に抵抗が強くなった。そして1人1人の権利が重要視されはじめた。そういう社会の流れにスポーツ界はついていけていない。