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[清武英利] 巨人軍は非情か


巨人軍は非情か

巨人軍は非情か

リーグ制覇、日本シリーズ惜敗、そして始まった大型トレード…あの時、何があったのか!フロントトップが明かす「メークレジェンド」の舞台裏。常勝を宿命付けられた伝統の球団。新聞社社会部からその未知の世界に飛び込んだフロントトップが、あまりにも人間臭いベンチ裏を、持ち前の記者的好奇心で観察、時に冷徹に時に情熱的に綴った。今だから書ける「あの時の真相」もあらたに加筆、〇八年日本シリーズの「その後」までをも含めた二年間の記録。


考えてみればプロ野球の球団代表ってどんな仕事してるの?って思いますね。読んだ感想は、「巨人の強さを垣間見た」、そんな気がします。『巨人軍は非情か』。こんな刺激的なタイトルをつけて出版できるってことは、「読めば巨人軍が非情ではないことが分かるよ」という自信の表れだと思います。グランドで起きていることに限らず、ベンチ裏でのできごと、監督、コーチ、スカウト、選手の親たちの熱い思い、若手選手から球団代表への1本の電話、すべてをひっくるめて「プロ野球」というドラマは立っているのだと。巨人ファンに限らずすべての野球ファンに読んでほしい本です。


球団代表の職に就いて三年が過ぎたが、ドラフトの季節は毎年、喜びと寂しさが交錯する。プロ球界には一チーム七十人の選手枠があり、ルーキーを受け入れるためには、その数だけ選手を解雇しなければならないのである。育成選手には制限がないが、員数合わせで採用しては、選手にも気の毒だ。実現しない夢は必ず覚めるときがくる。「古参の選手をチームから追い出すのは球団ではなく、新人選手である」といった人がいるが、解雇のいいわけにしても、プロの厳しい一面を言い当てている。逆に言えば、ルーキーの夢は、誰かが夢を絶たれたところから始まっている。

(小笠原が巨人FA移籍を決断したとき、妻が球団代表宛てに書いた手紙を読んで)移籍というものは、選手だけではなく、家族にとっても人生を賭けた重大な決断であることを、手紙は真剣に語りかけている。そんな分かりきったことに対して、私はどこまで考えを巡らしていたか。こうした家族の強い決意を、あだやおろそかには扱えないで、と思った瞬間に涙がにじんできた。

パラレルワールド(平行世界)という言葉がある。この世界から分かれ、それに平行した別の世界を指すのだそうだ。人にはさまざまな分岐点があって、そのひとつひとつでの選択の結果、いまの自分がいる。あのとき、違う選択肢を取っていればもう一人の自分、つまりパラレルワールドの自分があったかもしれぬ。

吉村二軍監督(当時)が藤田、長嶋、王、原監督らから学んだ指導者としての三か条を挙げていた。

  1. 言葉〜相手にきちんと伝わるように心がける。ただ言うだけではなく、理解させるように努力する。
  2. 時間〜相手の都合に合わせてあげる。貴重な時間を共有しているという意識を常に忘れないようにする。
  3. 行動〜自分から動く。一緒に体を動かし、汗をかかなければ、指導や言葉に説得力が伴わない。

人が学んだり、働いたりする動機には、内発的要因と外発的要因があるという。内発的要因とは、その人の内側から発する好奇心や向上心といった、内部感情に端を発した自発的な意欲を示す。これは賞罰には依存しない。これに対し、外発的要因とは、報酬を得たり、罰を回避しようとしたりすることが努力の目的になることを指すのだという。これをやればお金がもらえる、やらなければ叱られる、という時に心が動くのである。
監督やコーチの仕事は、若い選手の外発的動機付けを内発的動機付けに移行させることだろう。豊かな時代に生きる現代の青年に、もはや川上監督時代のハングリーさを求めることができないとすれば、監督たちの責務はさらに重い。私はといえば、監督たちを支えるとともに、若者の内的要因のうちに、「日本の野球を高めること」「それを巨人でやること」を加えたいと思う。選手の高い気持ちと球団の思いが重なったときに、意味ある勝利が得られるような気がする。

<イギリスのある教育哲学者は『凡庸な教師はしゃべる。よい教師は説明する。優れた教師は示す。偉大な教師は心に火をつける』と言いました。吉田松陰松下村塾で行ったことは、維新の大衆を成した塾生たちの心に火をつけることでした>読売新聞「意見 視点」より

投手という種族は、常に二つの不安を抱えているという。一つは自滅の不安、もう一つが、打たれるかもしれないという不安である。「コーチの仕事は、そのうちの一つ、『マウンドで自滅するかもしれない』という不安を取り除くことだ」、というのが、尾花投手総合コーチの持論だ。

天才と言われた長嶋さんはバットを抱いて寝ることがあった。宿舎で同室だった捕手・吉田孝司の述懐である。「寝ていると、布団の上でブン、ブンという音が聞こえる。目を開けると、長嶋さんが真っ暗な中でバットを振っていた。一心不乱だから、頭を上げたら打ち殺されると思って、じっとしていた。恐ろしい音だった」(中略)苦労、苦痛が伴うとき、人間の脳には葛藤が生じ、それを乗り越えようという力が働くという。

NPB議会制民主主義だから、物事を迅速に決められないのではないですか」と指摘されたことがある。「日本の議会制民主主義は時間がかかります。それぞれにいいこともダメな点もあるが、韓国は大統領制だから即決です。簡単にかえることができる」

幸せセレンディピティ」、作家・ウォルポールの造語で、求めずして思わぬ幸運にめぐり合うこと、あるいはその力のことをいう。(中略)「といっても、どう用意したらいいのか、僕にもわかりません。飛躍は事前に予測することが出来ない。人それぞれだが、長い目で何かにこだわりを持ち、高いところを目指して努力し続ける姿勢が大事ではないでしょうか。私の尊敬する天才科学者パスツールは『幸運は、用意された心に宿る』と言っています」

<志とは、目先の貴賤(きせん)で動かされるようなものではない。望むべきは、その先の大いなる道のみである。今、貴いと思えるものが、明日は賤しいかもしれない。今、賤しいと思えるものが、明日は貴いかもしれない。君子となるか、小人となるかは、家柄の中にはない。君、自らの中にあるのだ>(「『その時歴史が動いた』心に響く名言集」中岡慎太郎が残した言葉)