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[豊田泰光] 「まぐれ」と「極意」 勝負に勝つ上達のセオリー


「まぐれ」と「極意」 勝負に勝つ上達のセオリー

「まぐれ」と「極意」 勝負に勝つ上達のセオリー

頭の中の「偶然」に賭けてみよう、それは成功をもたらす「必然」になる。


著者はプロ野球ニュースでときに長嶋采配にも批判するなどの辛口解説者として人気を博していたが、フジTVのバラエティー化の流れて2001年に降板した経緯がある(本書でも後半に触れられている)。当時はプロ野球人気を長嶋さんで持っていた側面もあるから致し方ないといえば怒られるか。ただ時代の流れもある。1リーグ制の動き、2004年のプロ野球ストを経て、今のパリーグ人気は、少なからずバラエティー化したマスコミの力があったのは否定できないと思う。でも古き良き時代を語り継ぐ著者のような存在は煙たい存在と映るときもあるが、味を引き締めるスパイスのような存在は必要だ。

仕事の「極意」は人によってそれぞれ違うと思う。「極意」は誰かに教えてもらうものではない。情熱を持って臨む中で、自分なりに発見するものだ。

自分なりのセオリーを求め、物事を真摯な眼差しで観察し、試行錯誤を繰り返している人間は有望だ。経験が集積され、ついには「勘」と呼ばれるものに昇華して、いかなる状況でも体が自然に反応するようになっていく。

良い結果が出ない原因を「部下の頑張りが足りない」と言い訳する指揮官は、方法論を持ち合わせていない自分の弱さを露呈しているようなものである。

「お前たちは選ばれたスターだ。できて当たり前だ」と奮起をうながす指揮官の言い分にも一理ある。しかし、原は先陣を切るより、隊の後方に回って遅れをとる選手をすくい上げる道を選んだ。

体を張って守るべき者とは誰で、打ちのめすべき相手とは誰か。その境界線があいまいだと、遅かれ早かれ大やけどをする。

では2割5分に甘んじている選手を3割打者に育てるにはどうすればよいか。それには「野球の本質とは何か」を考える力を身に付けさせることに尽きる。現役時代の私なら「野球とは時間差のスポーツである」と即答しただろう。

野球とは失敗のスポーツである。野球とは思いやりのスポーツである。

ぎくしゃくした人間関係は、ちょっとしたきっかけで絶縁状態に発展してしまう。その引き金はたいがい「何気ない一言」である。