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[重松清] 十字架


十字架 (100周年書き下ろし)

十字架 (100周年書き下ろし)

あいつの人生が終わり、僕たちの長い旅が始まった。中学二年でいじめを苦に自殺したあいつ。遺書には四人の同級生の名前が書かれていた―。背負った重荷をどう受け止めて生きればよいのだろう?悩み、迷い、傷つきながら手探りで進んだ二十年間の物語。

なぜ、あいつは僕に、<親友><ありがとう>と書きのこしたのだろうか。あいつを見殺しにした<親友>の僕と、遺書で<ごめんなさい>と謝られた彼女。進学して世界が広がり、新しい思い出が増えても、あいつの影が消え去ることはなかった。大学を卒業して、就職をして、結婚をした。息子が生まれて、父親になった。「どんなふうに、きみはおとなになったんだ。教えてくれ」あいつの自殺から20年、僕たちをけっしてゆるさず、ずっと遠いままだったあのひととの約束を、僕はもうすぐ果たす――。


自殺したフジジュンの遺書に同級生四人の名前があった。幼なじみのユウ、好きだった女の子サユ、いじめていた二人。フジジュンの死のあと、フジジュンの両親と弟、ユウとサユその後の人生の物語である。いじめ問題を問うているし、またいじめを見て見ぬふりをした傍観者の罪を問うた本でもある。ひとに備わっている能力のひとつに『想像力』がある。目に見えないものを見る力が想像力だとすると、人の心の中も直接は見ることができない。他人への想像力。痛みに対する想像力。想像力のない世の中は不幸を生産するのではないか。すこしの想像力によって救える命がどれだけあることか。想像力を持ち合わせていても働かせないと意味がないこと。そんなことを作者は伝えたいのだと思う。ユウが父親になって、サユが母親になって、“あの人”と向き合う後半は本当に泣ける。第44回吉川英治文学賞受賞。

人を責める言葉には二種類ある、と教えてくれたのは本多さんだった。ナイフの言葉、十字架の言葉。「その違い、真田くんにはわかる?」大学進学で上京する少し前に訊かれた。僕は十八歳になっていて、本多さんは三十歳だった。答えられずにいる僕に、本多さんは「言葉で説明できないだけで、ほんとうはもう身に染みてわかっていると思うけどね」と言って、話をつづけた。「ナイフの言葉は、胸に突き刺さるよ」「・・・はい」「痛いよね、すごく。なかなか立ち直れなかったり、そのまま致命傷になることだってあるかもしれない」でも、と本多さんは言う。「ナイフで刺されたきいちばん痛いのは、刺された瞬間なの」十字架の言葉は違う。「十字架の言葉は、背負わなくちゃいけないの。それを背負ったまま、ずうっと歩くの。どんどん重くなってきても、降ろすことなんてできないし、足を止めることもできない。歩いているかぎり、ってことは、生きているかぎり、その言葉を背負いつづけなきゃいけないわけ」

僕にはできない。絶対にできない。死にたくないと思う以前に、とにかく怖い。でも、フジジュンにとっては明日から学校に行くことの方が怖かったのだ。明日を迎えずにすむには、死んでしまうしか―――なかったのか?

「なにもしなかった罪っていうのは、法律にはないんだ」犯人を捕まえるのは警察の仕事で、それを裁くために裁判所がある。でも、ただ見ていただけのひとは――。

「人間って、死にたくなるほどつらい目に遭ったときに絶望するのかな。それとも、死にたくなるほどつらい目に遭って、それを誰にも助けてもらえないときに、絶望するのかな」

初めて、フジジュンを憎み、恨んだ。いまフジジュンが目の前にいたら――子どもじみたことだとわかっていても、訊きたい。なぜあの日に死んだ。なぜ、せめてあと一日、待ってくれなかった。電話をかけたその日に命を絶つと、九月四日を命日にしてしまうと、自分の好きだった女の子に一生降ろせない十字架を背負わせることになるんだと、お前は考えなかったのか?

「苦しむことで伝える愛情って、あるんじゃないですかね」