Yasublog

本、土木・橋梁、野球、お笑い、などについて書いてます。

[重松清] せんせい。


せんせい。 (新潮文庫)

せんせい。 (新潮文庫)

先生、あのときは、すみませんでした―。授業そっちのけで夢を追いかけた先生。一人の生徒を好きになれなかった先生。厳しくすることでしか教え子に向き合えなかった先生。そして、そんな彼らに反発した生徒たち。けれど、オトナになればきっとわかる、あのとき、先生が教えてくれたこと。ほろ苦さとともに深く胸に染みいる、教師と生徒をめぐる六つの物語。


重松さんの書く本は、「後悔」、「ゆるし」が根底にあって、誰もが胸にもっているものだけれど言葉にはうまく表現できないモヤモヤ感情を、小説を読むことによって、くっきりと輪郭を表して整理される、そんな作品が多い。5年や10年でチャラじゃなくても、数十年でみたらチャラじゃん。というような、人生に奥深さを与えてくれる。本作も教師と生徒のそれぞれの立場をいろんな人生を描いていて、読了後は読み手が自然に「あの時」に戻ってその人を許している、許せている。そんな心に響く物語が詰まった短篇集である。

懐かしさは寂しさを埋めてくれるだけではない。かえって寂しさがつのる懐かしさだってある。40歳を過ぎると、そういうことが少しずつ増えてくる。

「これからはロールじゃ、ロールすることが肝心なんじゃ」「キープ・オン・ローリング、なんよ」「終わらん、いうことよ」さらにもう一言ーー。「要するに、生き抜く、いうことよ」

「ロックは始めることで、ロールはつづけることよ。ロックは文句をたれることで、ロールは自分のたれた文句に責任とることよ。ロックは目の前の壁を壊すことで、ロールは向かい風に立ち向かうことなんよ」

センセ、ボクはロールしよりますか。キープ・オン・ローリングしよりますか。とまってしもうとっても、もういっぺん動きだしたら、まだ間に合いますか。センセ、オトナにはなして先生がおらんのてましょう。先生なしで生きていかんといけんのをオトナというんでしょうか。

皆川の電話のあと、ソファーに座ってぼんやりと虚空を見つめながら、白井先生の姿を思い浮かべた。40代半ばになっても未練を捨てきれない男と、堂々巡りの後悔をつづける男の、どちらが哀れなのだろう。

「教えたり育てたりすることと、選ぶこととは、違うんだよ」

「歳をとるっていうのは、そういうことなんだろうな。後悔が増えるんだ。俺は強い奴が好きだった。弱い奴でも、鍛えられて、努力して、強くなっていくのが好きだったんだ。でも、強くなれなかった弱い奴のことは……考えてこなかった」

わかっている。わかっていても、私は、定年が見えてきたこの歳になって、教師だって学ぶのだと知った。たくさん後悔して、申し訳なさも背負って、なにを学んだかわからないまま、学ぶのだ。

「人間が他の動物と違うところは、ゆるすことができる、いうところなんよ。なんもかんもゆるせんいう人間は、動物とおなじじゃ」

(あとがきより)僕は教師という職業が大好きで、現実に教壇に立っていらっしゃるすべての皆さんに、ありったけの敬意と共感を示したいと、いつも思っている。けれど、僕は同時に、教師とうまくやっていけない生徒のことも大好きで、もし彼らが落ち込んでいるのなら「先生なんて放っときゃいいんだよ」と肩を叩いてやりたいと、いつも思っている。