Yasublog

本、土木・橋梁、野球、お笑い、などについて書いてます。

その話、伝わっていますか?

コミュニケーション=「説明する力」+「質問する力」

ここ数日で思ったことを備忘録として書き留めておきたいと思います。
営業に異動して3年。ソフトウェアや設計計算書、図面を作っていた前職と違って、コミュニケーション能力がほぼ唯一の仕事道具だと思うようになりました。営業職に限らずコミュニケーションの大切さを否定する人はいないでしょうし、また同時にその難しさも経験を通じて身にしみている人も多いと思います。巷に関連する書籍がたくさんあるのもサラリーマンの悩みの大きな部分を占めているからでしょう。

「なぜ伝わらないの」

思い違いが発覚したときには、「普通はこう考えるでしょ」、「そんなの常識でしょ」と主張しても始まらないから善後策を考えるしかありません。そもそもなぜ伝わっていなかったのか。その人との間では、伝わっていないのだから「普通」でなく「常識」でもなかったんでしょうね。

僕自身もそうですけど上下関係の厳しい体育会系で育ったは人間は、「1回しか言わないからよく聞きなさい」、「何度も同じこと言わせるな」、「1を聞いて10を知れ」的な教育を受けてきました。同じことをクドクド言うことには、どこかネガティブな印象があります。
しかしよくよく考えるとこの考え方は、朝から晩まで1年間通じて狭く濃密な人間関係の中で成立するものであって、会社のようにある意味雑多な人間関係のなかでは、成立しないのかも知れません。「空気を読む」とか「あうんの呼吸」を前提としたコミュニケーションなんてものはありえないのですね。

「それくらい察してよ」はNG?

よく新人さんに1から10まで説明していると考える力が付かないから、あえてすべてを明かさずに作業指示を出したりしますよね。また仕事を頼むときにこちらも忙しいからつい短めの説明としてしまい、「わからない事は質問してね」と、その場を繕ってしまうことがあります。実はこの時点で見えないリスクを背負うことに気付いてないのですね。新人さんは何が分からないかが分かってないことが多いですから。

じゃあベテランはどうかと言うと、新人さんとは真逆でその経験の深さが邪魔して伝わらないことがあります。たまたま「質問力」のある人だと、ポイントポイントはしっかり聞いてくれて、こっちが思ったとおりの仕事をしてくれます。反対に質問もなくその人の感性で作業を進められたとき、頼んだ仕事の成果品を見てがっくりすることになります。うまく行ったときはたまたまその人の「質問力」に救われていただけなんでしょう。

「質問しましょう」

「伝える」という作業は思っている以上に重労働であることと、「質問する力」は、伝える側である相手との齟齬を救う重要なツールであること。人から何かを伝えられたとき、相手は無意識のうちに情報を取捨選択して話していると想像して、捨てられて声に乗らなかった内容を拾う作業、つまり「質問」をしましょう。結構重要なことが出てきたりします。そうすることによって相手も実は必要な情報を思いのほか伝えられていないという事実を学習します。説明能力と同じくらい質問能力も重要な気がします。(説明能力の高い人は質問もうまい人が多いですけどね)


たまたまですが、昨日の日経新聞2面の寸言にこんな話が載っていました。サラリーマンの話とは違うけれど。

「国会議員の仕事は同じ話を10回くらい繰り返して同じように話すこと。何回聞かれても何回でも同じことを答える。有権者に説明したつもりでも『あの時言ったじゃないか』と言ってはいけない」(民主党の山岡国会対策委員長が党国対会合で新人議員に指南)


考えさせられる記事があったのでご紹介したいと思います。

 今日おじゃました先で、「言葉」「コミュニケーション」をめぐって、最近考えていることについてお話をさせていただいた。質問をいただいて、その場では漠とした答え方しかできなかったことなどもあり、このテーマについて考えを巡らせながら帰ってきた。その一部を、忘れないうちにメモしておきたい。

  • 言い続けることの大切さ

企業の中において、また企業から外に向けてメッセージを伝えるときなどには、言いあきるくらい、同じメッセージを繰り返し伝えることが大事。大統領候補だったときのオバマが、「Change」「Change」と言い続けたように。そのくらい言い続けて初めて、多くの人に浸透する。

  • 短いキャッチフレーズにすることと、言葉を尽くして伝えること

短いキャッチフレーズにすると、覚えやすいけれども、そこには細かいニュアンスはこめられない。だから、時には、あらん限りの言葉を尽くして語ることも大事。短いキャッチフレーズは、伝えようとするメッセージの核の部分であり、いわば覚えておくためのアイコン。

  • 「言わなくてもわかるだろう」という前提を排する

日本人は、同じ会社のメンバー同士や親しい仲間内ではとくに、「言わなくてもわかるだろう」と、文脈の共有を前提としているところがあるが、その前提を排する必要があるのではないか。(私は、「空気読め!」という言葉が嫌いで、「空気読めファシズム」と密かに呼んでいる。)100%話したつもりでも、50%しか伝わっていないということはよくある。

  • 最大公約数と最小公倍数

たとえば、あるテーマについてよく知っている人と、あまり知らない人が同じ場にいるとする。そうした場合に、往々にして話が最大公約数的になってしまう。ごくわずかの言葉で「わかったつもり」になり、実はみんな本当のところはわかっていなかった、個々人の理解は全然ちがっていた、ということが後から判明したりする。こういう場合に、「言わなくてもわかるだろう」という前提を排して、最小公倍数を心がけてはどうか。つまり、3知っている人と2知っている人がいると想像される場合に、6は話すようにする。どんな場合でも、そのテーマを一番知らない人が理解できるように伝えれば、最小公倍数的な話ができる。


最大公約数と最小公倍数は、先の「短いキャッチフレーズにすることと、言葉を尽くして伝えること」とにもあてはめることができる。アイコンとして、覚えておくための記号として、最大公約数の部分を短い言葉にすることは大事だけれど、それだけで伝わっていると思うと、落とし穴がある。機会があるごとに言葉を尽くして、いちばんそのテーマをわかっていない人が理解できるように伝えること、最小公倍数の語り方を心がけること。

少なくとも、最大公約数と最小公倍数の両方に意識的であること。「自分が言っていることは50%も伝わっていないのでは」「わかっているだろうと思って言葉にしていないことが、実は全然伝わっていないのでは」という懐疑の念を持つこと。必要なのは、空気を読むことでなく、他者への想像力なのである。
言い続けること、最大公約数と最小公倍数 - The Power of Words 福田恭子のブログ

ベストセラーとなった梅田望夫さん(id:umedamochio)の『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)』など、様々なヒット作を手がけた編集者の福田恭子さんがはてなにやってきました。関西への出張帰り、jkondoと私と息子に会うためわざわざ京都に寄ってくださったのでした。
福田さんは筑摩書房で編集者として長年活躍されてきましたが、昨年、フリーになって新しい活動を始められました。編集者の頃よりも仕事の幅を広げられたようですが、一貫して「言葉で誰かに何かを伝える」ことをなりわいにされていることには変わりありません。
ウェブ進化論を世に送り出す前、福田さんはウェブのことがまったく分からない人だったそうです。それを逆手にとって「ウェブのことを人に分かりやすく伝えられる本を作りたい」と思われ、それを伝える人として梅田さんの存在に注目し、梅田さんに本の企画を提案されたそうです。梅田さんがウェブについて書かれた過去の記事をくまなく読まれ、ウェブについてウェブを知らない人でも理解できる分かりやすい文章に感銘され「この人だ」と思ったそうです。
人の取り組みや考えを伝える最も基本的な手段は「言葉」。その言葉をどうやって才能ある人々から引き出し、加工し、どんな適切な方法で世に(もしくはある場所に)送り出すか、福田さんは折々で模索されています。その福田さんと話をすることで、自分の思想を人に効果的に伝えるためにはどうすべきかといったことをあらためて考えさせてもらいました。
世の中には軽い言葉、重い言葉、すぐに消えていく言葉、いつまでも残る言葉などたくさんの言葉が氾濫しています。軽い=悪いではないし、重い=残るでもないとは思いますが、発する言葉はやはり自分の人間性や生き方からにじみ出てくるものですから、ひとつひとつの言葉を大切にしながら生きていきたいと思います。言葉の力を信じ、それを仕事にする人に敬意を払いつつ。
言葉をなりわいにする人 - tapestry