巨人のエースで胴上げ投手にもなった小林投手はプロでの実績ゼロの新人江川氏との1対1のトレードで阪神に移籍することが決まったあとの会見で言った。「来年の働きで評価してほしい。同情はされたくない」この言葉は有名です。
阪神のユニフォームを着た翌年には古巣巨人に対して無傷の8連勝で恩返しをし、トータル22勝をあげ最多勝を獲得しました。まさに会見での言葉どおり見事な働きでした。
無理がたたったのか翌シーズンは肩の故障に悩んだ小林を見た長嶋監督は、巨人時代の小林投手の専属トレーナーを「小林の肩を診てこい」とポケットマネーで送り出したそうです。その長嶋監督の温情にいたく感激して巨人に対する恨みも和らいだそうです。
監督が敵チームのエースにトレーナーを派遣するなど今ではありえないエピソードですが、まだ今ほどマスコミもうるさくなく大らかな時代だったのかなと思います。
引退したのが1983年のオフ。Yasuがプロ野球を見だしたのが1985年の阪神日本一のちょっと前だったので、現役時代の勇姿はほとんど記憶にはないです。でもその後「空白の一日」を知るようになり身代わりのように放出された野球人の生き様を知るにつれ、かっこういいひとだなぁと思っていました。
プロ野球の世界ではトレードはよくある話です。両球団の補強策などの思惑で選手が交換されるトレード。それはプロという同じ土俵の上で成立するわけです。少なくとも数年の実績が残っているわけですからその成績が目安とされて同レベル、同価値の選手が交換されるのが一般的です。
1978年11月21日。その日から二人が背負った宿命。小林氏はひとりのルーキーに巨人のエースの座を追われた無念、江川氏は自らが追い出すことになった元エースの成績を超えないといけないというプレシャー。28年を経てあのふたりを引きあわせた2年前のCM企画は、今となっては大ファインプレーとなりました。もしあの対談がなく小林氏が亡くなっていたら江川氏の背負っていた重荷はさらに何倍にもなっていたかも知れません。それは小林氏も望んでいないでしょうし。
当事者にしか分からないことだとは思いますが、17日のうるぐすを見て感じたことを書いてみました。