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[荻原浩] あの日にドライブ


あの日にドライブ (光文社文庫)

あの日にドライブ (光文社文庫)

牧村伸郎、43歳。元銀行員にして現在、タクシー運転手。あるきっかけで銀行を辞めてしまった伸郎は、仕方なくタクシー運転手になるが、営業成績は上がらず、希望する転職もままならない。そんな折り、偶然、青春を過ごした街を通りかかる。もう一度、人生をやり直すことができたら。伸郎は自分が送るはずだった、もう一つの人生に思いを巡らせ始めるのだが…。


荻原作品全般に言えることだが、この小説の登場人物で悪役は誰一人いない。伸郎の前職で辞める原因にもなった上司だけど、タクシーに偶然乗り込んできた時に意外にも弱さを吐露するところや、学生時代の恋人が離婚して地元に帰ってきているのを見かけて憧れが再発するものの最後は?な一面を垣間見て、今の家族が一番だと思い直すなど。「隣の芝は青く見えるけど、ちょっと覗いてみたら思ったよりも青くなくて今の足もとのほうがよっぽどいい色しているよ」という人生応援小説だと思う。

人生は一本道じゃない。曲がり角ばかりの迷路だ。タクシードライバーらしい比喩を使えば、そういうことなのだと伸郎は思う。今夜だって、右折と左折、何気なく曲がっただけで、よけいな面倒を背負い込んでしまった。ほんの二、三秒早く、他のタクシーより先に乗り場につけたばかりに、運をつかみそこねた。この三ヶ月、同じことが何度あっただろう。きっと、人の一生もそれの繰り返しなのだ。ほんの偶然や何の気なしに選んだ道が、取り返しのつかない遠くへ自分を運んでしまうのだ。

人間はきっと、空の上から振られるサイコロのでたらめな目にしたがって動かされているに違いない。その賽の目の前では、努力も才能も媚びへつらいも無力になる。それは、「運」や「ツキ」と呼ばれるものより大じかけで、厳然たるものだろう。何度かは自分の思いどおりの出目が続く運があったとしても、日々、そして一瞬一瞬、人生の前に現れる分かれ道や十字路のすべてをうまく切り抜けるなんてとうてい不可能だ。

タクシーの運転手には、ゲンをかつぐ人間や占いを信じる人間が多い。ルームミラーに怪しげなペンダントを吊したり、ロングの客を拾った後は公衆便所に行っても手を洗わないとかたくなに決めていたり。島崎は七色の手袋を持っていて、その時々でラッキーカラーを使い分けている。タクシードライバーという仕事がそれだけ偶然に翻弄されるからだろう。

それなりの成功を収めた人間は、特にわかばタクシーの社長のような叩き上げは、自分の過去を引き合いに出して、いかに自分が苦労をしてきたかを声高に語り、言外に、他人が自分のようにうまくいかないのは努力が足りないからだと諭そうとする。しかし、そんなもの、結果論だ。後出しじゃんけんだ。努力したから、報われるのではなく、報われたから、努力が語られるのだ。

タクシードライバーの仕事は、ただの偶然の積み重ね。成績がはかばかしくなかった頃は、そう考えていたが、自分の成績が上がってくると勝手なもので、伸郎の考えは少し変わった。そう、偶然を引き寄せるには、技術と努力が必要なのだ。