- 作者: 重松清
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2011/10/25
- メディア: 文庫
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昭和三十七年、ヤスさんは生涯最高の喜びに包まれていた。愛妻の美佐子さんとのあいだに待望の長男アキラが誕生し、家族三人の幸せを噛みしめる日々。しかしその団らんは、突然の悲劇によって奪われてしまう―。アキラへの愛あまって、時に暴走し時に途方に暮れるヤスさん。我が子の幸せだけをひたむきに願い続けた不器用な父親の姿を通して、いつの世も変わることのない不滅の情を描く。魂ふるえる、父と息子の物語。
父子の物語っていうとなんか地味でよそよそしい感じがしていたので書店で手に取ることはなかったけど、NHK土曜ドラマを見てこれは読まなきゃと思った次第。息子アキラは母親の事故の真相を知りたいのだけれどヤスさんは葛藤しつつも真実を伝えない。アキラは居酒屋「夕なぎ」の女将たえ子さん、海雲和尚、息子照雲、幸恵さん、頼子ばあちゃん、尾藤社長などなど、周囲の人に聞いてまわるが、みなヤスの教えどおり言葉を濁す。周囲に助けられながら成長していく父と息子の物語。前半では海雲和尚の「海になれ」という言葉、後半、海雲和尚が死の直前に書き残した手紙によってアキラが母の死の真実を知るシーンは感涙必至。
父親と息子の絆を描いた名作がこの「とんび」なら、母親と息子の絆物語といえば「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」。共通するのは不器用で愚かでいてなお愛される主人公。この両作品は不朽の名作となった。
「幸せいうて、こげなもんなんか。初めて知った。幸せすぎると、悲しゅうなるんよ。なんでじゃろう、なんでじゃろうなあ…」
そのかわり、毎晩、おねしょをする。「叱ったらいけんよ、アッくんのことを」と『夕なぎ』のたえ子さんには言われているし、ヤスさんにもそんなつもりはない。子どものおねしょは涙と同じだ、と思う。
ひとの死を悲しむことができるのは幸せなのだ、と三回忌の法要のときに海雲和尚に言われた。ほんとうにつらいのは、悲しむことすらできず、ただ、ただ、悔やみつづけ、己を責めつづけるだけの日々なのだ、と。
「おまえは海になれ」和尚はいった。「雪は悲しみじゃ。悲しいことが、こげんして次から次に降っとるんじゃ。そげん想像してみい。地面にはどんどん悲しいことが積もっていく。色も真っ白に変わる。雪が溶けたあとには、地面はぐじゃぐしゃになってしまう。おまえは地面になったらいけん。海じゃ。なんぼ雪が降っても、それを黙って、知らん顔して呑み込んでいく海にならんといけん」
「アキラが悲しいときにおまえまで一緒に悲しんどったらいけん。アキラが泣いとったら、おまえは笑え。泣きたいときでも笑え。二人きりしかおらん家族が、二人で一緒に泣いたら、どげんするんな。慰めたり励ましたりしてくれる者はだーれもおらんのじゃ」
ふたばも同じだ。朝顔が育っていくためには必ずふたばの時期を過ごさなければならない。しかし、ふたばは朝顔の生長を最後まで見届けることはできない。花が咲く前に姿を消してしまう。それがふたばの宿命なのだ。
「・・・秘すれば、花なんよ」
嘘や強がりを言っているとは思わない。だが、なるほど、とはうなずけない。割り算の「余り」のようなものが、胸の奥にある。
二人きりの家族が仲違いをしてしまうと、そこには「ひとりぼっち」が二人しか残らない。
「アホか、わりゃ」「は?」「親が子どもを甘やかさんかったら、誰が甘やかすんな、アホ」
「でも・・・ごめんなさい・・・」「なんでおまえが謝るんな」「・・・いままでお見舞いに行かんかったこと」「後悔しとるんか」アキラは黙ってうなずいて、洟をすすった。ヤスさんは、ふふっと笑う。それでええんよ、と小さく何度もうなずいた。「後悔は悪いこととは違うんよ。いっぺんも後悔せんですむ人生やら、どこにもありゃせん」
父は嘘をついていた。僕は二十歳になって、事実を知った。だが、ほんとうにたいせつな真実というものは、父と過ごしてきた日々にあったのかもしれない