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[重松清] 希望の地図


希望の地図

希望の地図

「希望」だけでも、「絶望」だけでも、語れないことがある。人々の価値観や生き方は、大きく変えられてしまった。それでも人には、次の世代につなげるべきものがある。去ってゆく者、遺された者の物語を書き続けてきた著者が、被災地への徹底取材により紡ぎ出した渾身のドキュメントノベル。


主人公は中学校でいじめに遭い不登校中の少年光司。東京に住むその少年が父親の友人田村章の被災地取材に同行する内容。主人公家族と取材者以外は地名も含めてすべて実名のドキュメンタリーだ(「田村章」は重松清氏の別名でルポライターとしてのペンネーム)。被災地で絶望のなかから希望を語る人々を、著者ならではの弱者目線の優しい言葉で綴られた、まさに著者にしか書けないルポルタージュだと思う。被災地のその後を知る意味でもたくさんの人にお勧めしたい。

写真は、決して生活必需品ではない。写真が命を救ってくれるわけではないし、写真によって空腹が満たされるわけでも、寒さをしのげるわけでもない。「写真を救う前にやるべきことがたくさんあるんじゃないか?」と言う人は少なくないかもしれない。それでもーー。「初めて入った被災地で、我々はこんな言葉を聞かされたんです」板橋さんが教えてくれた。四月九日に気仙沼市を訪ねたプロジェクトのメンバーに、市役所の職員はこう言ったのだ。「何もかも津波でなくなってしまいましたが、思い出だけは残っています。でも、その思い出も、記憶だけではいずれ薄れて、なくなってしまいます。だからこそ、思い出をこれからも写真という形で残しておきたいんです」(P33プロローグ 秋葉原にて)

<遊んだ思い出や育った町の風景すべてが、一瞬にしてゼロになったこの感覚は、味わった人でないとわからないでしょう。故郷のはずなのに、自分の知っている過去がどこにもないのです>(P69被災地に/被災地から伝えたいこと)

「道路ができた、橋が架かったというニュースの陰には、まだ避難所に残されている人たちもいるんです。その人たちにとっては、世の中が前に進んでいるニュースを見ると、かえって自分たちだけが取り残されてしまったような気がして、落ち込んでしまう・・・。そのことを忘れてはいけないと思うんです」(P71被災地に/被災地から伝えたいこと)

「『復興』の先頭を伝える役割を持った番組もあると思うんです。でも、私たちの番組は、最後尾にいる人たちを支えていきたい。立ち直るスピードは、みんなそれぞれ違うんですから」「がんばれる人だけが、がんばってください。無理のできない人は無理をする必要はありません」(P72被災地に/被災地から伝えたいこと)

「『夢』と『希望』の違いってなんだと思います?」首をひねる二人に、教授は単純にして明快な解答を与えてくれた。「夢は無意識のうちに持つものだけれど、希望は、厳しい状況の中で、苦しみながら持つものなんですよ」だとすれば、釜石はまさにいまこそ「希望」の見せどころにいる、ということなのか・・・。(P78「希望」とは、なんだろう)

「これからは、ネットで『希望』と検索したら、すぐに『釜石』が出るようにならなきゃ」(P105それぞれの人生の転機)

「道が復旧したり線路が元通りになったりというのは、時間はかかっても、この国の力があればできると思うんです。でも、弱者の支援や、そういう人たちに生き甲斐を持ってもらうことは、地元の人間が動かないと・・・。とにかく成功事例をつくらないと。私たちが宮古で成功したら、陸前高田でも大船渡でも同じような取り組みが始まるかもしれませんから」(P116それぞれの人生の転機)

僕は「フクシマ」というカタカナでの表記は好きではない。なぜか。それはとても大事なことをごまかしているように見えるからだ。(P123福島からの手紙)

原発を巡る問題の難しさは、ここだ。「ほんとうのこと」がなかなか見えないなか、誰もが疑心暗鬼になり、ヒステリックにもなっている。百人いれば百通りの「私の正しさ」がある。『いいたてホーム』に賛成する「正しさ」もあれば、反対する「正しさ」もあるだろう。(P136福島からの手紙)

同僚の無念を背負いながら、津崎さん自身は周囲の「早く逃げないと」の声にもかかわらず、一人で水族館に残った。なぜーー?「飼育職員の最後の責任というのは、死んだ魚を水槽から出すことなんですよ」(P144にぎわいを、再び)

「『期待を裏切った』っていう言い方があるだろう。あれって、考えてみれば、期待を寄せる側にずいぶん都合良くできた発想だよな」一所懸命にベストを尽くしても期待に応えられないことはある。だが、それは決して「裏切った」だけではない。「『期待』ってワガママだし、一方的なものなんだよな、まったく」(P160にぎわいを、再び)

「しばらく休んだってかまわない、と俺は思うよ」「いいんですか?」「ああ。でもな、そのときにケツを地面についてしまうと、二度と起き上がれなくなるかもしれない。だから、両足を踏ん張って立ちつづけるんだ。そうすれば、たとえいまは動けなくても、いつかきっと、足を一歩前に踏み出せるから」(P190社長たちの奮闘)

「五月の初めに最初の記事が出て、三ヶ月で完売しました。水に浸かった本を定価で買ってもらうのは、私としては申し訳なかったんですが、これも神様からのご褒美かもしれないと思ってます。どう考えても大変な『ケセン語訳 新約聖書』の出版を九年間やりつづけたことへのご褒美なのか、社員を解雇しなかったことへのご褒美なのか・・・どちらにしても、これで会社の経営も一息つくことができたんです。ほんとうに助かりました」(P200社長たちの奮闘)

「俺たちの取材は『希望の地図』という題名で連載しているわけだけど、それは『絶望の地図』と表裏一体なんだよな。前に向かって進む『希望』の隣には、打ちひしがれた『絶望』もあるんだ。それを絶対に忘れちゃいけないんだよ」(P205社長たちの奮闘)

「経営者は従業員に対して嘘やハッタリを言ってはならないのは、わかっています。でも、社員のほとんどが家を流され、亡くなった社員もいて、ほんとうに『命』のかかった問題になったときには、上に立つ私が『だいじょうぶ、なにも心配しなくていい』と言うしかないんです。その一言で救われることって、あると思うんです。だいじょうぶな根拠はあとからつくればいいわけですから」(P209社長たちの奮闘)

そして最後にーー。「津波で亡くなった人たちは、やっぱり無念だったと思うんですよ。もっと生きたかっただろうし、この町をよくしようという夢も持っていただろうし・・・だから、仇討ち、弔い合戦をやるしかないんですよ、生き残った私たちは」(P213社長たちの奮闘)

「企業もそうです。震災直後の苦しい時期に従業員を解雇した会社では、事業再開にあたって声をかけても、多くの従業員は戻ってこなかったそうです。やっぱり最初に心配したとおり、一度切れた糸は、なかなかつなぎ直せないんですよ」阿部さんはそう言って、「海とのつながりだって同じです」とつづけた。「いままで気仙沼が築き上げてきたものは、確かに津波で奪われてしまいました。でも、海がなくなってしまったわけではないんです。海は変わわずにあるわけだから、津波を恐れて関係を断ち切ってしまうんじゃなくて、これからも共存していくしかないんです」(P224社長たちの奮闘)

「会社のある街も違うし、世代も違う。会社の業種や規模だってまったく違う。でも、三人には共通点があったんだよ」(中略)「三人とも『第一志望』の人生じゃないんだよ」(中略)「みんな、思いどおりに生きてるわけじゃない。大げさに言えば運命に翻弄されているところもあるだろうし、『なんで自分がこの立場にいなきゃいけないんだよ』って文句を言いたくなるときだってあったと思う」(中略)「でも、三人はその責任の重みから逃げなかった。取材中に愚痴や泣き言なんて一度も出なかっただろう?」(中略)「やらなきゃいけないことをやる。誰かのせいにするんじゃなくて、ただ自分のやるべきことをやる・・・カッコいいよな、三人とも」(P227社長たちの奮闘)

亡くなった役場の同僚のためにも、復興に向けてがんばりたいーー。「マスコミで何度も紹介されていたんだけど、南三陸町役場の女性職員で、最後まで防災無線で住民に避難を呼びかけて、自分は津波に呑まれて亡くなってしまった人がいただろ」(中略)田村は、その人の名前をメモに書いて見せた。遠藤未希さんーー。未来の希望ーー。「未希さんの呼びかけのおかげで命が助かった人は、きっとたくさんいる。彼女自身が亡くなってしまったのはほんとうに悲しくて悔しいことだけど・・・彼女が救ってくれた命がある。彼女が我が身に代えて守ってくれた未来がある」田村はそこで言葉を切って、ゆっくりと息を吸いながら、つづけた。「希望というのは、未来があるから使える言葉なんだよ」(P256復興ダコの町で)

だが、『セブンイレブン志津川天王前店』のレジの前には、被災地の店舗でしか見られない商品が置いてある。線香と、仏壇に供える和菓子、そして価格三百五十円の切り花ーー。「悲しいけれど、売れるんです。月命日にあたる毎月十一日には、特に多く出ます」隆さんの言葉どおり、それはあまりにも悲しい売れ筋商品だった。(P265リレーのバトン)

「ずっと忘れないでくれよな。俺と一緒に見た被災地の風景や、話を聞かせてもらった人たちのこと」「でも・・・そのバトンを誰に渡せばいいんですか?」「さあな、そんなの、中学生のうちにわかるわけないだろ」そっけなく言われたものの、答えには続きがあった。「一生をかけてバトンを渡す相手を探せばいい。その相手に巡り合うための長い旅が、人生なんだよ」(P272リレーのバトン)