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[司馬遼太郎] 坂の上の雲(一)


坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

松山出身の歌人正岡子規と軍人の秋山好古・真之兄弟の三人を軸に、維新から日露戦争の勝利に至る明治日本を描く大河小説。全八冊


幕末から明治にかけて日本史上一番変化の時代を生きた人々の歴史小説です。会社の支店長が読んだらしく教えてもらった本なんですが、NHKでもこの秋からスペシャルドラマで放送されるようですね。それも3年がかりで。何となく登場人物が覚えにくいのと背景をイメージし難いのとで、こういう時代ものの小説はどちらかと言うと苦手なんですが、せっかく旬の原作なのでがんばって読んでみたいと思います。一巻は彼ら主人公の生い立ちから20歳台までを描いています。この時代のヒーローの生き様をじっくり見ていきたいと思います。また、薩長同盟、廃藩置県、日露戦争正岡子規高橋是清福沢諭吉西郷隆盛など聞いたことのあるいろんな言葉や人物が出てきます。苦手な日本史の勉強にもなりそうです。

学資もないくせに、「信や、貧乏がいやなら、勉強をおし」という。これが、この時代の流行の精神であった。天下は薩長にとられたが、しかしその藩閥政府は満天下の青少年にむかって勉強をすすめ、学問さえできれば国家が雇傭(こよう)するというのである。全国の武士という武士はいっせいに浪人になったが、あらたな仕官の道は学問であるという。

作戦だけでなく日本海海戦の序幕の名口上ともいうべき、「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之を撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ波高シ」という電文の起草者でもあった。この兄弟がいなければ日本はどうなっていたかわからないが、そのくせこの兄弟が、どちらも本来が軍人志望でなく、いかにも明治初年の日本的諸事情から世に出てゆくあたりに、いまのところ筆者はかぎりない関心をもっている。

「なぜ、騎兵を選んだぞな」と、父はたずねた。好古の理由のひとつは、年限が三年で早く少尉になれて給料を早くとれるということだった。「人は生計の道を講ずることにまず思案すべきである。一家を養い得てはじめて一郷と国家のためにつくす」という思想は終生かわらなかった。

「若いころにはなにをしようかということであり、老いては何をしたかということである」というこのたったひとことだけを人生の目的としていた。

おれは、単純であろうとしている」と、好古はいった。さらに、「人生や国家を複雑に考えてゆくことも大事だが、それは他人にまかせる。それをせねばならぬ天分や職分をもったひとがあるだろう。おれはそういう世界におらず、すべに軍人の道をえらんでしまっている。軍人というのは、おのれと兵を強くしていざ戦いの場合、この国家を敵国に勝たしめるのが職分だ」

「大英帝国の権威はその海軍によって維持されている」という言葉をこの築地の兵学校の生徒の胸にきざみつけたのは、英国からきた傭教師アーチボールド・ルシアス・ダグラス少佐であった。(略)「この極東の島国の地理的環境ははなはだ英国に酷使している」さらに、「日本帝国の栄光は威厳は、一個の海軍士官にかかっている。言葉をひるがえせば、一個の海軍士官の志操、精神、そして能力が、すなわち日本のそれにかかっている」とも言った。

戦いは、出鼻で勝たねばならぬ」(略)メッケルはさらにいう。「宣戦布告のあとで軍隊を動員するような愚はするな」(略)「宣戦したときにもう敵を叩いている、というふうにせよ」というのである。これをきいたとき、学生のほとんどは、(それは卑怯ではないか)と思った。卑怯ということよりも、そういうことが国際法上ゆるされるかどうか、ということをみな不審に思った。この時代の日本人ほど、国際社会というものに対していじらしい民族は世界史上なかったであろう。十数年前に近代国家を誕生させ国際社会の仲間入りをしたが、欧米の各国がこのアジアの新国家を目して野蛮国とみることを以上におそれた。さらには幕末からつづいている不平等条約を改正してもらうにはことさら文明国であることを誇示せねばならなかった。文明というのは国家として国際信義と国際法をまもることだと思い、その意思統一のもとに、陸海軍の士官養成学校ではいななる国のそれよりも国際法学習に多くの時間を割かせた。がメッケルはいいという。いわば悪徳弁護士のような法解釈だが、違法ではないという。それが学生たちを安堵させ、これによって「宣戦と同時攻撃」というのは日本人の伝統的やりかたになり、ついには世界中から、―日本人のいつものあの手。という嘲罵をうけるようになった。

立身出世主義ということが、この時代のすべての青年をうごかしている。個人の栄達が国家の利益に合致するという点でたれひとり疑わぬ時代であり、この点では、日本の歴史のなかでもめずらしい時期だったといえる。

好古が終生わるれなかったほどの名言をいくつも吐いた。「アキヤマ、君の国には名将はいるか」(略)「あらゆる分野を通じてもっとも得がたい才能というのは、司令官の才能だ」という。数百年に一人、やっと出るか出ないかとおもわれるほどに稀少なものであり、他の分野の天才と同様、天賦のもので、これだけは教育によってつくれない。

「申し上げたい結論は、馬術という一点においてはドイツ式が欧州馬術界の定評になるほどに欠陥があり、フランス乗馬術がきわめて優越性に富んでいる、ということであります」