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[中谷巌] 資本主義はなぜ自壊したのか


資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言

資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言

新自由主義経済学」は悪魔の思想だ!!広がる格差、止めどない環境破壊、迫り来る資源不足。すべての元凶は資本主義そのものにあった!「新自由主義」の旗手と言われていた著者が、いま悔恨を込めて書く懺悔の書。


昨年から急激な世界経済の悪化の原因を、新自由主義経済の失敗、いや規制なき市場の暴走がもたらしたものだと言う。規制のない自由経済はマーケット・メカニズムという「見えざる手」によって富の再配分が行われてみんながハッピーになる。というアダム・スミスの「国富論」を否定している。すなわち、市場を性善説に委ねると一部の頭の良い人たちが、「生き馬の目を抜く」競争社会で、一般市民から詐取するような仕組みを働いてしまうので、やはり規制は必要ってことだと思う。なんか当たり前のことのようにも思えるけど、時々の大国トップの方針によって大きな流れは作り出され、歴史は繰り返していくのでしょうか。

高度な経済学を研究してきた学者が最後にたどり着いた価値観が、市場で一番大切なのは「社会的信頼」であるというのも、何か面白い。

改革派の急先鋒だったのは浅はかだった――懺悔の書『資本主義はなぜ自壊したのか』を書いた中谷巌氏に聞く

間違いなく言えることは、今回のバブル崩壊の結果、アメリカが主導してきたグローバル資本主義は大きな方向転換を迫られることである。(中略)この結果、アメリカ系証券会社が主導してきた、自己資本をはるかに上回る資産膨張を可能にする、いわゆる「レバレッジ経営」は事実上不可能になった。そうなると、これまでのような「規制なきアメリカ金融資本主義の暴走」はその勢いを大きく削がれることになるのは間違いあるまい。

ひょっとしたら、グルーバル資本主義とは言うなれば人類にとっての「パンドラの箱」であったのではないか――現下の情勢を見るにつけ、私の心にはそんな苦い思いが湧いてくる。しかも私はその蓋を開けることに荷担してしまった一人なのだ。

金融も情報もグローバル化にはうってつけの産業である。これら産業は製造業や農業のように、特定の土地に縛られることなく、ビジネスチャンスを探り当てては国境をいともたやすく超えて活動できる「身軽な産業」である。同時に、地道に努力してコツコツとよいものを作るといった「動きの遅い」製造業と異なり、頭脳明晰なエリートがイノベーションによってこれまでになかったようなユニークな商品を開発し、それによって世界のマーケットを一挙に手にすることができる「収穫逓増型産業」である。「収穫逓増型産業」とは、マーケットの規模が大きくなればなるほど、利益率が高くなる産業のことであるが、金融も情報通信産業も基本的に原材料を必要としないから、その傾向はさらに強固なものになる。基本となる商品設計さえ優れていればそれがグローバル・スタンダードになり、たちまちグローバル・マーケットを手にすることができ、うまくすると無限大の利益にもつながる夢のような産業なのである。

というのも、ここまで述べてきたように日本型の組織の強さは、組織のトップから現場に至るまで、全員が当事者意識を持って問題解決に当たることにあり、そうした平等性の上に成り立つ「現場力」があったからこそ、日本は近代化に成功したし、企業も競争力を高めるのに成功したからである。
さらに言えば、西洋型の強力なリーダーシップのあり方は、たしかに有能な人間が指導者になれば、効率的な組織運営ができるが、その一方で、リーダーの暴走という事態を惹き起こす可能性がある。そのときは、ガバナンスがきがず、組織は崩壊してしまうかもしれない。また、前にも述べたようにマネージメントの偏重は、「現場の空洞化」という事態を惹き起こす危険性も秘めている。

そこでまず何よりも早く行わなければならないのは、急激に増えている貧困層をどのように社会として救済し、援助していくかという問題である。「貧しさは自助努力が足りないがゆえに起きたことであり、国家や社会が手助けをすることは本人を甘やかすことになる」といった新自由主義的な思想では社会は壊れていくばかりであり、日本経済の潜在力もどんどん失われていく。この状況を一刻も早く変えなければいけない。

ベーシック・インカムというのは、「市民の生活を守るために、国家は無条件で国民に所得を給付する義務がある」という理念に基づいて出てきた考え方である。

著者は有識者会議で「還付付き消費税」制度を提案している。面白い考え方だなぁと思った。詳しくはこちら

ここまで読み進められた読者は、すでにお気づきであろう。グローバル資本主義の問題の根幹とは、今やモノやカネも国境を超えて自由に羽ばたいているのに、それを制御する主体が国家単位に分散していることにあるのだ。

たとえば、EU諸国の制度の平準化を議論するときにしばしば使う言葉に「相互承認」がある。グローバル・スタンダードとして精度の平準化を一律に推進するのではなく、各国の固有の制度を残したままそれを互いに認め合おうという考え方である。