- 作者: ドナルド・C・ゴース,G.M.ワインバーグ,木村泉
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 1987/10
- メディア: 単行本
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ジェリー・ワインバーグとその仲間たちの〈計算機の人間学〉の本。この本は問題発見についての本である。問題は解くより発見する方がずっとむずかしく、ずっと面白い。―実人生で本当にものをいうのはそこなのだ。
世の中、問題だらけですよね。「問題があるか?、ないか?」と聞かれたら誰でも明快に「ある」と答えることができると思います。しかし「その問題」は誰にとっての問題なのか?何が問題なのか?をずばり答えられる人は少ないでしょう。会社のある部門の売り上げが芳しくないとき、どこに問題があるのでしょうか?営業なのか?生産部門か?開発部門か?それ以外なのか?真の問題を定義できてはじめて解決のステップに進むことができるのです。ある球団が最下位に沈んだので戦力補強しようとしたとする。補強すべきは打者なのか?投手なのか?先発か?抑えか?それとも?限られた予算で最大の戦力アップを実現するにはどうしたらいいのか?意外に打撃コーチを変えるだけですごい打線になるかもしれない。関係者が増えるほど問題提起は多岐にわたり、問題を解決することよりも、真の問題を発見するほうが、ずっと難しくなるのです。
「それは誰にとって問題なのか?」ビルのオーナーか?ビルの利用者か?
他人の問題を解くことを問題としてもっている問題解決者予備軍にとって、最良の手がかりは、精神的に単数形から複数形への切り換えをすることである。
問題を抱えているのは誰か?そして、それは自分だという人ごとに、あなたの問題の本質は何ですか?とたずねてみるがよい。
問題とは、望まれた事柄と認識された事柄の間の相違である。
望まれた事柄とはエレベーターの待ち時間が短いこと、認識された事柄とは待ち時間が長すぎることだな、と彼は考えた。とすれば、問題は欲求を変えること、または認識を変えることにやって解決できるわけである。
各階のエレベーター脇に鏡を取り付けることで、解決した。
ユーモアのセンスのない人のために問題を解こうとするな。
問題定義に関する重要な教訓を、二つも得ることになったからである。その第1は、彼らの解決方法を問題の定義と取り違えるな。そして第2は、彼らの問題をあまりやすやすと解いてやると、彼らは本当の問題を解いてもらったとは決して信じない。というものであった。
解法を問題の定義と取り違えるな。ことにその解法が自分の解法であるときには注意。
自分が知っているただ一つのことは、本当の問題はそのとき問題だと思ったものではなかった、ということなのだということに、いま彼は気づいた。それは400万件の場合を数え上げる、という問題ではなかった。また、記号論理と常識の問題でもなかった。そして何よりも、線形計画の問題などではなかった。多分真の問題とは、ほかの人がみな、そういうことをしているのは自分一人だ、と思い込んで入札を変更しつつある、という状況下で自分の入札をどう変えたらよいか、というものなのであった。
問題の正しい定義が得られたかどうかは決してわからない、問題が解けたあとでも。
結論に飛びついてはいけないが、自分の第一印象は無視するな。
問題は何か?
正しい問題定義が得られたという確信は決して得られない。だがその確信を得ようとする努力は、決してやめてはいけない。
すべての解答は次の問題の出所。
問題によっては、それを認識することが一番むずかしいということもある。
むしろ「それらはどんな問題か」考えてみる、という方が正しいだろう。人間の場合には双子や三つ子は稀だが、世間の問題の場合には三つ子未満の方が稀なのだ。
キミの問題理解をおじゃんにする原因を3つ考えられないうちは、キミはまだ問題を把握していない。
設計家は絶えず不適合を作り出す。ここで不適合とは、その解決策とつき合わなければならない人間とうまく合わないような解決策のことをいう。
結論に飛びつくな、だが第一印象を無視するな。
スイスからのはじめての旅行者にアメリカの紙幣を見せてみるがいい。相手はきっとこういうだろう。「でもみんな同じ大きさじゃありませんか。盲人はどうやって区別するんですか?」
そしてスイス人の旅行者が次にいうことはこうだ。「しかもみんな同じ色なんですね。おつりを出すときしょっちゅう間違うんじゃありませんか?」
キミの問題定義を外国人や盲人や子供について試してみよう。またキミ自身が外国人や盲人や子供になってみよう。
新しい視点は必ず新しい不適合を作り出す。
問題文をどう変えたら解答を変えることができるだろうか?
問題が言葉の形になったら、それがみんなの頭に入るまで言葉をもて遊んでみよう。
他人が自分の問題を自分で完全に解けるときに、それを解いてやろうとするな。
注意 前方にトンネルあります。ライトをつけて下さい。
もし人々の頭の中のライトかまついているなら、ちょっと思い出させてやる方がごちゃごちゃいうより有効なのだ。
問題の出どころはもっともしばしばわれわれ自身の中にある。
われわれはそれを本当に解きたいか?
ちょっと見たところと違って人々は、くれといったものを出してやるまでは何がほしかったか知らぬものである。
あとから調べてみれば、本当に問題を解いてほしかった人はそんなにいないものだ。